17日のABEMA『NewsBAR橋下』に、教育改革実践家の藤原和博氏が出演。橋下氏と大阪の教育改革について振り返った。
リクルート出身の藤原氏は自身の子どもたちが就学前の90年代にヨーロッパに滞在、その際に教育や医療・介護分野の重要性を痛感し退職。2002年、47歳のときに義務教育で初めての民間人校長として杉並区立和田中学校の校長に就任。その後も奈良市立一条高校校長に就任するなどし、さまざまな取り組みを実現させてきた。その際の経験から、「べき論、理想論では現場の先生方も話を聞いてくれない」として、自らを“教育評論家”ではなく、“教育改革実践家”と呼んで活動を続けている。
・【映像】橋下徹×藤原和博 コロナで変わる!新たな学校のカタチとは
「校長がリスクを取る覚悟でやれば、意外に色々なことができる。例えば中学校の授業を通常の50分から45分に短縮して、逆に英数国のコマ数を増やすということもできてしまう。あるいは職員室にいる教員だけでは学校経営は難しいので、地域社会を取り込む。実際、地域に住む教員志望の大学生に来てもらって、学習の面倒を見てもらう。夏には、大学生による特別な補修授業みたいなこともやっていた。
それを進化させた形が、塾と組んで、学校内で進学塾をやってしまおうというもの。 普通、学校の先生は塾が嫌いだし、塾の先生は学校の先生が宿題を出し過ぎることに文句を言う。そうではなくて、進学というベクトルは一緒なんだから同じ方を向いて手をつないでいけばいいんじゃないのという発想の転換だ。はっきり言ってしまうと、公立高は入試問題が共通なので中学校の先生が指導できるが、独自の問題を作っている公立高や私立高の傾向分析や指導までは手が回らない。その点は圧倒的に塾の経験値が勝っているわけだから」。
こうした和田氏の活躍に注目していたのが橋下氏。「大阪でぜひやりたい!」と、府知事時代には藤原氏を特別顧問として招聘した。
「5科目の学習だけではなくて、もっと世の中を知って、討論して、実践してという、まさに今の大学入試改革でやっているような、暗記型じゃなく思考力を高めるような“よのなか科”という授業を、しかも民間人校長という立場で打ち出していた。公立学校は、できない子どもたちに合わせる発想で、できる子をどんどん伸ばすということをやってこなかった。藤原さんはできない子もやるんだけど、できる子を伸ばすこともやった。
そして大阪でも、学校と塾には壁があって超えられないところがあった。そこで僕が藤原さんの名前をバッと出して、学校になんの根回しもなく塾を入れるみたいな話にしちゃったから大騒動になった。僕は藤原さんに“後はよろしくお願いします”って(笑)。今でこそ学校現場に塾を入れるのは全国でも広がっているが、当時は抵抗があった。でも大阪市では中・低所得者については月額1万円の補助を出したりといった取り組みをして行った結果、猛抵抗する現場の教員も少なくなっていった」。
藤原氏は「池田市の池田中学校では、和田中モデルを全て真似して、土曜日に算数の補習をやったり、英語を3コマ積み増したアドバンスコースを作ったり。もっと英語をやりたいという子には“ミニ先生”をやってもらっった。すると“学び合い”が起こった。僕は“ナナメの関係“と言っているが、隣でサッと教えてくれる子を増やすことが先生の負担を減らすことにもつながる。大阪の先生たちは下を支えることにはすごい長けているが、上を引っ張り上げる方が、最終的には下の子も助かるんだといことを分かってもらえた。実際、僕が行った3年間は、全国学力調査で小学校、中学校とも上がっていった」と当時を振り返った。
そんな藤原氏が大阪時代で印象に残っていることとして挙げるのが、西成高校での取り組みだという。「経済的に大変な地域の高校。僕は学園祭に人権教育のプロとホームレスのボスを招いて、“ホームレスは社会のゴミか”というものすごいテーマでディベートの授業をやった。テレビ局も取材しにきて、非常に評価された。そして橋下さんを呼んで、西成高バスケ部と試合をした。こっちは大阪府教委のメンバーや、大阪体育大のバスケ部キャプテンだった高校の校長先生たちがメンバー。西成のキャプテンの子が最後に劇的な逆転シュート決めたので僕たちは負けたんだけど、僕らは申し合わせて橋下さんにパスを集めてシュートをさせた。新聞によると、連続14本外した(笑)」。
すると橋下氏は「西成高校については後日談がある」。
「大阪府知事としては、府立高校を全てマネジメントしないといけないわけだが、少子高齢化、どんどん定員割れが起きてくる。そしてどちらかというとお金のある子が私立、なかなか苦しいという子は無条件に府立、みたいな風潮があったから、僕は私立も無償化して壁をなくそうとした。結果、府立ではますます定員割れが起こった。西成高校もその一つで、3年連続定員割れしたら統廃合するという方針の条例に基づいて、無くなってしまう可能性も出てきた。そこに僕の大学時代の同級生が民間人校長になりたいと手を挙げてくれて、ある府立高校の校長になった。彼は後に経験を積んで、府の教育長もやってくれて、西成高校を学力的に厳しい子どもたちをしっかり支えていく高校、エンパワメントスクールという方向でやっているようだ」(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)。
この記事の画像一覧





