本当は、親との血の繋がりはなかった…。突然そんな事実を突きつけられたとしたら、あなたは一体どんな気持ちになるだろうか。27日の『ABEMA Prime』では、幼少期に特別養子縁組によって養子となった子どもと養親に突きつけられる「真実告知」の問題について、当事者を交えて考えた。
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■生みの親に会えて「自分は生まれてきて良かったんだな」と感じた
生みの親の元を離れ乳児院で育った山田ミカさん(仮名、26)は、特別養子縁組で血縁のない夫婦に迎え入れられた。その事実のことを知ったのは、5歳の時だった。「もちろん私たちも愛しているし、生んでくれたお母さんもお父さんも、事情があって乳児院に預けはしたけど、愛してくれていたよ、という話を、何度も時間をかけて話してくれた」。
育ててくれた両親(養親)こそが“実の親”だと感じてはいたが、やはり成長するにつれ、自分の生い立ちについて生みの親の口から聞いてみたいという思いが芽生えるようになる。一方で、真実を知ることの怖さや、生みの親に拒絶されるのではないかとの不安も頭をよぎったという。
そんな思いを育ての養親に打ち明けると、特別養子縁組の手続きした際の裁判所の資料を見せてくれた。そこに書かれていたのは、生みの親の名前や住所、血の繋がった兄が2人いるという事実。そして、“どうしても育てられず、養子に出した”という経緯も記されていた。「“(父親側が)認めたくない、という気持ちの方が強くて、育てる意思はない”、“母一人では育てることは経済的に難しい”ということが細かく書かれていた」。
19歳になると、生みの母のもとを訪ねた。「生んだ時、どんな気持ちだった?と聞いた。“仮死状態で生まれてきたので、どうにか産声をあげて欲しいと思った”と。そして、“育てたい気持ちが強かった”とも話してくれた。何回も“ごめんね”と言われ、自分は生まれてきて良かったんだな、というのを改めて感じられた」と声を詰まらせた。
■“紙袋に入れられて遺棄をされていた”、という事実を知った
特別養子縁組により2歳から養親の元で育ったみそぎさん(仮名、20代)は、思わぬことがきっかけで親と血の繋がりが無いことを知った。「高校の時、問題が解けない様子を見て、父親が“自分と血が繋がっていないからだ”というような言葉を口にした。その日のうちに、改めて特別養子縁組について冷静に説明してもらったが、それだけだった」。
出自を知るため、養親が寝静まったのを見計らい、母子手帳を探した。修正テープで隠されていた名前の部分を灯りに透かして見ると、別の名字が書かれていた。住民票に掲載されていた過去の住所を調べてみると、そこは乳児院だった。情報も無いまま訪ねてみると、副施設長が自分のことを覚えており、親身に対応してくれたという。
ルーツを探る中では、さらに意外な事実も判明した。
「戸籍には乳児院とは異なる住所も書いてあった。一軒一軒、周辺の家を回って“こういう子がいませんでしたか”って聞いてみた。最終的には児童相談所に個人情報の開示請求をした結果、“紙袋に入れられて遺棄をされていた”、つまりは遺棄事件だったことがわかった。当時の新聞記事の切り抜きや、保護されてから縁組が成立するまでの経過観察の資料も出てきた。自分の親を知ることはない、知る術はないということが知れただけでも、僕は良かったと思っている」。
■「喜んで養子に出す親は誰一人としていない」
養親の理解の上で実現した、ミカさんと生みの親との再会。自らの力でルーツを尋ね歩いたみそぎさん。しかし、自らの出自を知りたいという願いを叶えられないケースが多いのも事実だ。そうした現状について、NPO法人「Babyぽけっと」代表の岡田卓子さんは、出自を知る権利は保障されるべきだと訴える。
「“何で自分のことを手離したんだろう”と思うのは当然のことだと思う。そして、喜んで養子に出す親は誰一人としていない。様々な事情の中で悩んで悩んで、これが一番良い選択肢だから、と決断する。ただ、いくら親であってもそこの部分を勝手に隠してしまってはいけないと思うし、私は子どもに伝えたいと思う」。
これまで500人以上の子どもの特別養子縁組をあっせんしてきた「Babyぽけっと」では、生みの親との交流の場を設け、生い立ちを知りたいという感情に応えようとしてきた。ある子どもは、「みんなお母さんが1人しかいないけど、僕は2人いてびっくりした。生んでくれたお母さんはどんな顔をしているのか見たい。どんな声をしているのか聞いてみたい。もし会えたら色々聞いてみたい。どういう料理が得意なのか。僕が元気に遊んだり、学校で勉強できるのは、お母さんが頑張って生んでくれたから。生んでくれてありがとう」と、涙ながらに手紙を読み上げていた。
■「赤ちゃんの頃から伝えていった方がいい」
実の親と離れて暮らす子どもの支援をしている社会福祉士の才村眞理さんは「自分のお父さん、お母さんを知っている人の場合、それを知らないというのがどういうことなのか、実感しづらい。しかし、この人たちが親だと思っていたのが違うとなれば、自分の人生が分断されてしまうことになる。知った後では、まるで自分が違う人間になってしまったように感じる人もいる。そして、“生まれてきてよかったんだろうか”、という考えまで出てきてしまう。やはり出自を知る権利というのは、どんな人にもあるはずだ」と話す。
「そして必要なのは、そのことをどんなふうに伝えるかということ。同じ事実でも見方を変えると異なるものになってしまうし、その辺の工夫が重要だ。特にみそぎさんのような形になってしまわないよう、告知は小さい頃にするように推奨されてはいるし、幼児、さらにその前の赤ちゃんの頃から伝えていった方がいいんじゃないかという考え方も最近出てきている。告知という言葉自体があまり良くないが、これは一度きりのことではなく、何度も話をしながら、家族の中でオープンに喋れる雰囲気を作っていくことが大事だ。そういう話をするのは養親にとっても大変なことだし、言葉は分からなくても、赤ちゃんのうちから“あなたとは赤ちゃんの家で出会ったのよ”とか、“来てほしいと思って来てもらったのよ”と言う練習を少しずつしていくのがいいということだ。また、出自を知りたい時にはどこに相談に行けばいいのか、児童相談所や民間のあっせん事業者が相談に乗ってくれる、といったことが少しずつ広がっては来ている」。
■「養子と養親としての関係が始まってからは、まだ数年」
みそぎさんは「やはり公的な手続きを一切せずに生きていくということは無いはずで、養子だったことを知らずに生きていく、ということはほぼありえないと思う。つまり、どのみちいつかは知ってしまうという前提がある上で、子どもの側は養親を信頼したい、頼りたい。僕の場合、高校生まで作ってきた養親との関係性は、“実の親”としてのものだった。だから養子と養親としての関係が始まってからは、まだ数年しか経っていないということだ。やっぱり頼りづらい、言いづらいという部分も出てきてしまう。そういう意味でも、やはり小さな頃から真実告知をし、良い関係性を作っていってほしいと思う」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)