ABEMA『NewsBAR橋下』の出演した落語家の瀧川鯉斗と橋下徹氏が、校則、そして体罰の問題について議論した。
地元・名古屋の中学生時代には“悪さ”をし、“ヤンチャオンリー”だったという高校をわずか1日で退学。5、60人を率いる暴走族の総長になった後、“役者になりたいと”上京。アルバイト先で観た、後に師匠になる瀧川鯉昇の高座に感銘を受け、その日に入門を願い出たという瀧川。「生徒ひとりひとりに個性があるし、一律に“こうしろ”という校則はなしだ」と話す。
すると自治体の首長を務めた橋下氏は「校則の決め方が諸悪の根源だと思う。先生たちが一方的に決めた校則には、教員の世界だけで生きてきた人たちの価値観だけが入ってしまう。だから決めるプロセスには生徒や保護者や、地域で学校関係以外の仕事をしている人たちの意見が入ることも重要だと思う」と指摘。
その上で、「大阪では、髪が茶色の子どもを強制的に黒に染めさせる指導があり、生徒側から裁判を起こされた。識者と言われている人たちからは“髪の毛の色は個性だ。これからはグローバルな社会になる、多様性の時代だ、子どもたちの自由を守れという意見が出た。もちろん、外国人の髪の毛の色を問題にするのは問題だ。ただ、僕は茶髪に染めている場合に関しては、黒髪に変えろという指導も認めた。校内暴力が激しかったりして、授業が成立しないような学校で、生徒たちを学校の生活になじませていくためには、少しずつでも規律というものを教えていかなければいけない。現場の教員からも、朝は何時に来なさい、というようなところからスタートしないと成り立たないんですと言われたこともあった」と振り返った。
これに瀧川は「そこは先生の力量だと思う。生徒ひとりひとりをちゃんと観察していれば心がわかるし、どういうセリフで指導すべきかもわかると思う」とコメント。さらに体罰の問題ついても、自身の経験を踏まえ、生徒に合わせた指導の一環だとして、持論を展開した。
「僕は中学2年のときにサッカー愛知県代表のゴールキーパーになった。自分で言うのはおこがましいが、絶対に点を入れさせない、チームの“要”だった。それと並行して、夜になると“おいた”をしていた(笑)。そのうちに遊びのほうが楽しくなってしまい、監督に“もう辞めます”と告げた。そうしたら、先生が“バカ野郎!”と言って、僕の心臓のところを殴らってきた。“お前が辞めたら、友達が困る。お前にはハートがないのか!”と20発ぐらい。たまたまお弁当を持ってきた母親がその様子を見ていたので、“止めるのかな”と思ったら、“もっとやってください”と(笑)。
その先生は普段、決して殴るような人ではなく、言葉で説明してくれる対応の人だった。僕も信頼していた監督だったので、ハートにドンと響いた。友達の気持ちも分からなかったし、ただ“辞めるなよ”とだけ言われても“何言ってんだこいつ”となってしまっていたと思う。結局、辞めずに最後までやった。殴られてよかったと思うし、あれは“コミュニケーション”で、体罰ではない」。
さらに瀧川は「昔は子どもが塀の向こうに行ってしまいそうな窮地のときに、体を張って教えてくれる、守ってくれる大人たちがたくさんいたと思う。中学の時にも響いたことがあった。ある時、先生が“貸してみろ”と言って、僕が吸っていたタバコを取り上げて、むせながら一生懸命吸った。そしてティッシュペーパーに息を吐いて、“これだけ体の中に入るんだぞ”と、黄色いのが着くのを見せてくれた。全くタバコを吸わない先生が体を張って教えてくれるのを見て、やめなきゃ、ありがたいなと思った」とも振り返った。
すると橋下氏は「昔は先生が生徒を殴るシーンのあるラグビーのドラマ『スクールウォーズ』が流行ったこともあったが、今はそういうものは一切ダメな時代になってしまった。大阪府知事をしていた時にも、文部科学省からは体罰禁止という通知が来ていたし、手を上げた先生たちが懲戒処分を食らっていた。でも息子の剣道の練習を観に行ったら、指導者がラインギリギリのところに来た子どもを蹴って中に入れたりしていた。そういう指導なんだろう、ということで保護者たちも容認していたし、僕も知事としてては暴力はダメだと言いつつ、その場では容認してまっていた。
やっぱり“ギリギリのところでは手を上げることもありだろう”という考えで生きてきたし、知事としても“本当に必要なら、大阪では暴力的な指導も一定程度は容認するというような条例を作るから言ってくれ”と言った。でも、教育委員会からは“今の時代、暴力的指導は絶対にできません”と反論された。何万人もの教員に向けてルールを作る時、少しでも体罰を認めてしまえば、収拾がつかなくなってしまうということだ。
それから市長に転じたときに、ある高校で不幸なことが起こってしまった。そこで僕は考え方を改め、大阪では学校現場はもちろん、スポーツにおいて暴力的指導は一切無くそうということに切り替えた。息子が通っていた道場も、指導方法をガラッと変えた。厳しくやらないと強くならないだろうという思いもあって、みんなとまどっていたらしい。それでも子どもとしてはしんどい、殴られるのは嫌だと思っていたようで、楽しく喜んで練習に行くようになった。今ではすっかり雰囲気が変わり、OBとして観に行った息子によると、“俺たちの時代よりも強くなっている”ということだった。
確かに生徒ひとりひとりのケースを個別に見ていけば、鯉斗さんのように正しかったと思える場合もあるのかもしれない。それでも、そこを的確に突いていくのは本当に難しい。時には暴力も必要だ、という考え方はやはり変えて行かなければならない」。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)






