東京オリンピック・パラリンピック開会式の音楽担当を辞任することになったミュージシャンの小山田圭吾。ネット上での批判の声は止まず、NHKがEテレの『デザインあ』の放送を見合わせ、テレビ東京がドラマ『サ道 2021』の主題歌を差し替えるなど、作品の使用にも波及している。

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 人々の怒りの感情の根底にあるのが、過去の雑誌に掲載されたインタビューで小山田が語っていた内容の凄惨さだ。ただ、日本メディアの報じ方は海外メディアに比べて婉曲的な表現が多く、ネットを通してその差別的・暴力的な行為の詳細を知った人とそうでない人との間には、反応に温度差があるという指摘がある。

■ネットを見た人と見ていない人で社会が二分されてしまっているのではないか

 パリ在住の執筆家・今井佐緒里氏は「きちんと内容を書かないと伝わらないのに、普段から日本のメディアはぼやかしすぎかなという気がしている。例えばイギリスの『The Telegraph』は“障害者に排泄物を食べさせた”ということも紹介していたし、オリンピックの放映権を持つ大きなメディアである米NBCも、やはりセンセーショナルな書き方をしていた」と指摘する。

 実際、日本のメディアの報じ方のパターンは、

 (1)“いじめ”“からかい”などの表現に止め、具体的な加害行為については触れないパターン

 (2)“ぐるぐる巻き”、“閉じ込める”など、一部を紹介するパターン

 (3)“排泄物を食べさせる”、“性的虐待を行う”など、非常にショッキングなものについても紹介するパターン

 と、大きく3つに分かれている。

 今井氏は「フランス人の友人は、やっぱり海外のことだと書きやすいのだろうが、今回はオリンピック・パラリンピックが関係しているということもあり、国の劣っている、みっともないところを見せたくないという心理がジャーナリストや媒体側にあるのではないか、と言っていた。

 見ていて思うのは、Twitterなどのソーシャルメディアを使っている人たちは赤裸々でショッキングな部分まで知った上で批判や署名活動などを展開している一方、高齢者などソーシャルメディアを使っていないような人たちは何も知らず、社会が二分されてしまっているのではないか、ということだ。

 新聞やテレビがはっきりと報じられないことも、それよりも分析的なことを報じた方がいいということも良く分かるが、子どもや青少年もネットで見てしまっているのに、高慢な理想があるからというのは、時代感がずれているのかなと感じる。加えて、問題発覚後も相対化をしてしまい、一部の人しか“彼は悪いことをしたのだから仕方がない、当然だ”という言い方をしていないことにも不満がある。お子さんにまで誹謗中傷が及んでいるのは言語道断だが、NHKは公共放送なのでダメだと思うし、これから出続けるのは無理ではないか」と主張した。

■“いじめ”という緩い言葉で括られて終わってしまうのは大きな問題だ

 一方、ジャーナリストの佐々木俊尚氏は、新聞記者時代の経験を踏まえ、「オリンピックだから政治的な理由ではなく、そこはある種、文化的な要素ではないか。例えばフランスで同じような問題が起きたとしたら、日本の新聞も具体的に書くと思う。それは遠いからだ。国内だと距離が近すぎるし、生々しすぎて踏み込むのはどうなのかなということになる。また、いじめの被害経験がある人がフラッシュバックを起こす可能性についての配慮もあるだろうし、今後もぼやかしたほうがいいと思う。

 そもそも新聞やテレビの役割は、細部までほじくり出して小山田圭吾をひたすら非難しまくることではない。一体なぜこんなことが起きてしまったのか、あるいは20年以上前のことを掘り起こすようなキャンセル・カルチャーが正しいのか正しくないのか、他にも同じようなことをしていた芸能人がいたとして、その過去を暴き立てる必要があるのか、といったことを俯瞰的に見る、その議論のために必要な要素を並べていく作業が必要なのであって、Twitterと同じ土俵に立つ必要はない」と反論。

 慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏は「僕も当初は詳しい中身を知らず、“40年前の加害の罪をどう扱うか”という視点でコメントした。それからインタビュー記事を読んだりして、考えが変わった部分もある。一生許すことのできないような犯罪被害だと思ったし、自分が加害者や罪のあり方ばかりを論じ、受けた被害や、他にも同じような経験のある人たちのことにまで気が回らなかったことを反省している。

 やはり“いじめ”という緩い言葉で括られて終わってしまうのは大きな問題だと思うし、謝った・謝らないという線引きも曖昧だ。そこは“学校でよくあること”ではなく、他の犯罪同様、未成年であっても少年院に入るとか、そういった処罰を受けるようにしなければならないと思う。その意味では、僕は小山田さんが当時逮捕されなかったことが不満だ」と話した。

■「ネットには出ていてテレビ、新聞には出ていないことが多い」

 また、ロンドンブーツ1号2号の田村淳は「大手メディアでは曖昧な情報しか得られず、ネットの方がきちんとした情報を伝えている状況に戸惑いがあった。だけど、佐々木さんの話を聞いて、どっちのほうが正しく、読み手に利益があるのか分からなくなった。ただ、“いじめ”という言葉は無くした方がいいと思うし、被害者の方もいる以上、罪を犯した、そしてそれをどう償うべきか、ということで伝えるべきだ。もちろん雑誌のインタビューの内容がどこまで事実なのかどうか検証されないままではあるし、逆にネット上では小山田さんへの“いじめ”が起きている気がするのも怖い」とコメント。

 番組には「議論で抜けているのは、ただのいじめではなく、障害者いじめだったということ」「収まっていないのはメディアが流すからではないの?収めたいと思うならスルーしなよ。結局数字が取れるからやるんでしょ」「これに限らず、ネットには出ていてテレビ、新聞には出ていないことが多いから、信じられない。保身に見られても仕方がないと思う」といったコメントが寄せられていた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

小山田圭吾の性的虐待や暴行の実態をメディアはどう伝えた?
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“障害者いじめ”で謝罪も…続くバッシング 小山田圭吾は“過去”をいつまで背負うべきか
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