“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏
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 航空自衛隊のアクロバット飛行チーム・ブルーインパルスが23日、東京都上空を飛行し、空に“五輪”を描いた。オリンピックにおける飛行で、東京の上空に五輪が描かれたのは1964年以来となる。

【映像】57年前に行われた“五輪飛行”の様子(実際の動画)※1分ごろ~

 かつて航空自衛隊でパイロットとして勤務し、57年前の東京オリンピックでアクロバット飛行のパフォーマンスを行ったメンバー、西村克重さんと藤縄忠さん。2人は前日に行われたテスト飛行を特別な思いで見つめていた。

 57年前、2人が当時所属していたアクロバットチームに依頼が来たのはオリンピックの前年のことだった。西村さんは3番機、藤縄さんは5番機に乗っていた。

「皆さんもご存じのように、ブルーインパルスは大会の時間に合わせて、球場やグラウンドの横をまっすぐ飛ぶ。最初は、57年前の五輪もそういう依頼だったと思う。まっすぐ飛ぶことは大きな負担でもないものですから『これじゃあなぁ(物足りない)』という話がどことなく湧いてきて、(1番機の)松下さんが言い出したのかな。『空に五輪でも描こうか』と」(西村さん)

“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏
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 5つの円を空に描くパフォーマンスは、チームのメンバーで話し合い、決まったと言う。しかし、熟練のパイロットの手腕を持ってしても、空に五輪マークを描くのは至難の業だった。

「やはり難しかったのは距離感ですね。飛行機(の長さ)は11メートルしかないのに、(隣の機体との距離を)7000フィート取った。2000メートルも離れたら、こんなに小さくしか機体が見えない。隣の機影から自分が7000フィートの間隔が取れているかどうか、判断が難しかった。なかなか5機が揃って綺麗にいった記憶はない」(藤縄さん)

“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏
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 本当に成功するのだろうか――。そんな不安を抱えながら迎えた57年前の本番当日。埼玉県の入間基地を飛び立った飛行チームは、神奈川県・江の島上空を旋回しながら規定の時間を待っていた。

 「江の島から国立競技場までの景色は覚えているか?」と聞くと、藤縄さんは「景色なんか覚えていませんよ。緊張はすごかった。前の飛行機との距離を正確に保って飛ぶことだけに集中してました」と当時を振り返った。

 極限の緊張の中、飛行チームは開会式会場である国立競技場へ。東京の空に5色の美しい輪が描かれ、飛行チームはオリンピックの大舞台で最初にして唯一の成功を収めた。

「地上で指揮を取っていたパイロットから『うまくいった』という報告が無線で入りました。そこで本番でちゃんと綺麗にできたんだと知って、本当にうれしかったですね。マスクの中で大声を上げて『うまくいったぞ、成功した』と叫びました」(藤縄さん)

「1機で空に円を描くことは難しくないが、5機で一緒になって、一点も狂わず重ねて正確に描くことが難しい。当時、入間(基地)に帰って、飛行機の整備士たちに祝福されてほっとした。みんなに『恥をかかせずに済んだ』と思った」(西村さん)

 あれからおよそ半世紀。今日東京の空に再び、5つの輪がブルーインパルスによって描かれた。

 上空の5つの輪を見て「今日が天候に恵まれて本当に良かった」と笑顔を見せる藤縄さん。当時は今よりも科学が発達しておらず、パイロットの負担も高かった。西村さんは「今はなんでもコンピューターが結果を出してくれるが、我々は目で見て判断していた。本番が一番うまくいった。今日は雲が低くかったので、リーダーは苦労しただろう」と後輩を思いやった。 (『ABEMAヒルズ』より)

【映像】ブルーインパルスが描いた“五輪マーク”(ノーカット動画あり)
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【映像】1964年のブルーインパルス飛行
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