これだけワクワクさせられ、しかも期待を大きく上回るデビュー戦などめったにない。7月25日の修斗・後楽園ホール大会。注目選手の1人はこの日がプロデビューとなる中村倫也だった。
レスリングで全日本2連覇、U-23世界選手権優勝という実績を持つ中村。オリンピックには出場していないが、実は子供の頃から夢は総合格闘家だった。レスリングは、その準備段階という意識だったそうだ。
MMA転向を宣言すると、EXILEなど人気グループが所属するLDHの格闘技部門「LDH martial arts」の契約選手に。選手発掘企画のドキュメンタリー『格闘DREAMERS』でも圧倒的な力を見せつけ、プロデビューが待たれていた。
出番は後半戦のセミファイナル前、対戦相手はすでにプロで活躍している論田愛空隆と、期待感が高いからこそのハードルも設定された。しかし中村は、そのハードルを完璧に超えてみせる。
1ラウンドは組み技で圧倒。テイクダウンするとバックを奪い、論田が何度立ち上がっても潰してポジションを奪う。しかしこの1ラウンドは、中村にとって「ひどいラウンド」だったそうだ。もっと丁寧に“極め”までもっていきたかったという。
2ラウンドに入ると、展開は打撃主体に。パンチが交錯し、そこから中村は左ハイキックを放つ。セコンドの高谷裕之さえ「1ミリも」予想していなかったというハイキック。これが完璧にヒットして、レスリングの強豪である中村はプロデビュー戦を衝撃的なKOで飾ってみせた。『格闘DREAMERS』での試合はパンチでKO勝ちしているが、まさかハイキックとは。
期待値の高さと試合で実際に残したインパクト。その“大型新人”ぶりは、山本“KID”徳郁、堀口恭司以来と言っていいだろう。
試合後の中村によると、ハイキックは狙っていた技の一つだそうだ。そのための布石としてローキックを出し、打撃の展開に切り替えた。新人離れした戦術眼だ。ただ自己採点は60点で「ギリギリ単位取得」、やりたいことの半分しか出せなかったという。勝った瞬間は喜びを爆発させるのではなく「ここから始まるんだ」と神妙な気持ちになっていた。
中村は修斗の申し子、MMAの申し子と言ってもいい存在だ。父親が修斗のスポンサー、ジムのオーナーだったことから、幼い頃から選手たちと親交があった。ジムは遊び場。中村にとって「いつも遊んでくれるお兄ちゃんたち」がプロシューターだったのである。レスリング歴も、ジムで山本美憂がキッズの指導を始めたことがスタートだ。
幼少期、母のヒザの上で見ていた「修斗・後楽園ホール大会」に自分が出場している。試合をするにあたり、その感慨はいったん捨てたと中村。
「余計な感情は全部置いて闘いました。試合が終わって“(ずっと憧れてきた)あの姿になってるのかという感慨が出てきましたね」
中村の修斗参戦は、いわば故郷への帰還だった。セコンドの高谷、石田光洋も修斗から出世していった。加えて今大会には、修斗創始者・佐山聡率いる佐山道場からも選手が出ていた。あらゆる面で歴史を感じさせる、感慨の詰まった大会だった。その中心に、中村がいた。
レスリングでオリンピックを目指した中村のプロデビューが、東京オリンピック開幕直後というのも不思議で絶妙なタイミングだった。中村自身も「めちゃくちゃ意識しました」と言う。
「俺のオリンピックが始まるんだって。(五輪)代表の選手からも“勢いをつけてくれ”“レスリングの強さを見せてくれ”ってメッセージをもらって。自分の勝利がいいエネルギーになれば」
何重にもドラマチックなデビュー戦から、中村倫也のプロキャリアは始まった。次戦はまだ未定だが、準備する時間があれば「日本の上位ランカーとやってもいいのかなと思います」。
階級は、他団体含め日本最大の激戦区であるバンタム級。もちろん見据えるのは世界だ。これからどこまで飛躍するのか、中村は今の我々には想像もできない未来を見せてくれるだろう。
文/橋本宗洋