兼近大樹「“勉強しねぇよ”の理由すら気づけず」 家庭環境で人生が決まる? EXITと考える“教育格差”
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 都会で、しかも裕福な家庭に生まれ育った子どもは学習塾や習い事を自由にすることが選択できる。一方、山奥に暮らし、しかも経済的に厳しい家庭に生まれた子どもは、物理的に通うことも難しく、金銭的余裕もない…。21日の『ABEMA Prime』では、そんな「教育格差」の問題について、お笑いコンビのEXITと、著書『教育格差』が話題の松岡亮二・早稲田大学准教授(教育社会学)が考えた。

・【映像】生まれた家庭環境で人生が決まる?"「そもそも自分が格差があることに気付かない」

 定時制高校を中退して以降、家計を支えるために10代で働き始めたEXITの兼近大樹は「今までもずっとあった問題だと思うが、親戚も友達もそういう人たちばかりという環境で生まれ育ったら、そもそも他の階層が見られないし、親ですら教育格差というものがあることを知らない、気づけない。不自由だと感じない。以前の俺は、勉強の機会を与えられても“やらねえよ”と言っていた。実は最近、幼少期からそういう環境にいたからこそ不自由だと感じない。“やらねえよ”の自分になっていたのではないかと考えるようになった。この年になって、“これだけ違うの?”と思う。でも、基本的には抜け出せない。問題はそこにあるのかなと思う」と話す。

 一方、大学を卒業している相方のりんたろー。は、自身の子ども時代を振り返って「何不自由なくやりたいことをやらせてもらっていたので、兼近君からリアルな話を聞いて、すごく驚かされた。社会の“入り口”に立てないまま生きていくしかない、しかもそれが生まれた時にほぼ決まっているということを知らなかった。そういうことが、コロナによって無視できない状況になった。もしかすると10年、20年かけて起こることが、1、2年に早まってしまうのではないかという気がしている」と話す。

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 松岡氏は「よく勘違いされるが、機会があるかないかの“教育機会の差”と、出身地域や出身家庭によって結果に差がついてしまう“教育格差”は別の話だとした上で、「日本のデータでは、出身家庭によって、既に小学校入学時点で学力格差は生じている。そして、その学力は学年が上がっても平行移動する。マラソンでいえば、前の子との距離を詰めることができないまま、高校受験によって分離されていく」と説明する。

 「東京に住んでいて両親が大卒という人にはイメージが湧かないかもしれないが、地方や貧困層の場合、学習意欲を持ち、競争に乗ろうというところに達することがない子どもがいるということだ。そもそも学校で勉強を頑張って大学に行こうと考えるのは、そうすれば社会的に成功できると小さい頃から大卒の親に言われるので、気づいたらそれがロールモデル、価値だと思い込んでいるというだけだ。逆にいえば、同級生たちが普通に大学に行くと言う規範、文化みたいなものがない小学校で育った子が大学に行きたいと考える方が珍しいということだ。その意味で、兼近さんの話はすごく芯を食っている。おそらく兼近さんの周辺では、大学に進学するということが当たり前ではなかったと思う。そういう中で学習意欲を持てなかったというのは、極めて普通のことだ」。

 一方、松岡氏は「“親の年収が教育格差につながる”、という議論はミスリーディングだ」とも指摘する。

 「日本は98%の子どもが公立小学校に通っているが、住んでいる地域によって両親の大卒率は違うし、その割合が高い学校は平均学力も高いというデータも出ている。確かに大卒の方が所得が高いので相関はあるが、むしろどういう風に育ったかによって、お金を渡されたときの使いみちが異なっている、ということが問題だ。両親に経験があるからこそ、学校教育や大学進学に価値を置き、“子どもが大きくなってきたから、そろそろ習い事をさせよう”と考えることができるということだ。もし兼近さんが高校生の時に奨学金をもらったとして、それをどう使っていたかということだ」。

 すると兼近は「もちろんパチンコに使っていたと思う。当時の僕は、良いこと使おうなんて全く思っていなかった」と話した。

兼近大樹「“勉強しねぇよ”の理由すら気づけず」 家庭環境で人生が決まる? EXITと考える“教育格差”
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 では、日本の教育格差の状況を海外と比べた場合、どうなのだろうか。松岡氏は「日本の教育格差は他の国と比べて平均的だ。一方で、すごくチャンスが溢れている国でもない」と話す。

 「銃の撃ち合いがあるようなゲットーに住む貧困層がいて…というようなアメリカの極端な例をつなげて議論するのは良くないと思う。アメリカには1学年300万人、日本も1学年100万人がいる。少なくともデータで言えるのは、日本は特にチャンスが溢れている国でもないし、かといってかなりひどい国でもない平均的な国だ。しかし、それは誇るべきことではない。なぜかといえば、先ほど説明したような教育格差が存在するにも関わらず、能力と努力によって職業や生き方を選ぶことができる、という建前で今もやっている以上、どこの国も“グダグダ”だからだ。ただ、その“グダグダ”の程度が違うというだけだ」。

 最近では、コロナによる休校に伴う学習の遅れや、グローバル・スタンダードに合わせるという観点から、“9月入学”が議論されている。

 松岡氏は「最近、萩生田文部科学大臣が“学びの保障”という言葉を使っているが、正確にいえば、“学びの機会の保障”に過ぎない。そもそも日本社会は“履修主義”で、ただ座っていれば3年生は4年生に進級できてしまう。つまり、社会経済的に恵まれない家庭、地域出身に生まれ育ち、学習に身が入らない子たちに授業日数を確保したり、運動会をしたり、行事をしたところでだめだということだ。さらに重要なのは、日本は教育も就職も絶対的な基準ではなく、誰かが1位になったら誰かが2位で、誰かが2位なら誰かが3位だという“相対的競争”だ。すでにこの休校期間中、社会経済的に恵まれている子どもたちは塾やいろんなことで勉強をし、学力をつけている。仮に入学や新学年の開始時期を4月から9月にずらしたところで、彼らの背中はずいぶん遠くにあるということだし、それはいつまでたっても追いつけない。9月入学が教育機会均等のためとか、学びの保障というのは全く当てはまらないいし、恵まれない子どもたちが相対的に不利な状態に追い込まれることに変わりない」と批判した。

 兼近は「教育格差の問題はそんな簡単には変わらない気がするが、コロナによって皆が意識してくれれば埋まってくるのではないかと思うし、こういうふうに議論して広めることで、無くなっていくのかなと思う」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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