コロナに関するエビデンスは存在しない? 分かりやすさを求めるよりも複雑さに向き合える「ナラティブ」な情報発信を
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 政府が“勝負の3週間”として新型コロナウイルスへの感染対策を呼びかけた最後の1週間で、感染者数は週平均で初の500人台となった。東京都の人出をみると、12月13日の銀座では前の週と比べて3.5%の増加、新宿や渋谷センター街など都内12地点中9地点で増加していた。

【映像】コロナに関するエビデンスは存在しない?

 そのような中で菅総理は14日、「GoToトラベル」について、今月28日から来年1月11日まで全国で一斉停止する方針を表明した。

 明星大学心理学部准教授で臨床心理士の藤井靖氏は、危機感を喚起する一方でGoToトラベルを推進してきた政府のちぐはぐに見える方策の中で、政治家の情報発信の仕方に疑問を感じる点があるという。

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 藤井氏は「“エビデンス”と“分かりやすさ”の罠にはまっている」とし、「そもそもエビデンスという言葉は、日本語では証拠という意味だが、研究的・科学的文脈でいうなら現状では軽く用いられて過ぎているように感じる。

 実際、コロナに関して信頼性の高いエビデンスが見出せるかというと、それはあくまでも研究デザインやデータを取れる条件が統制されてのことであって、現時点では多数の要因が交絡するため不可能に近い。GoToを推進する人は『GoToが感染拡大に寄与するというエビデンスはない』という旨の発信をするが、それはあくまでも『あるかもしれないし、ないかもしれない』ということなので、正しく表現する必要がある」と話す。

 「また、例えば小池都知事が言うような“ひきしめよう”や“5つの小”のようなキャッチーさを意図したフレーズや、会見ではフリップを用いるなど分かりやすさを追求する発信は理解できるところはある。

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 一方でコロナの問題というのは、それほどシンプルに考えられるものではない。シンプルに情報を発信すれば意図した通りの効果が伴う場合もあれば、逆に単純化すればするほど社会の複雑な部分に注目が及ばなくなる、つまり個人の生活の仕方や行動変容など、よくよく各自の環境に合わせて考え抜かなければいけないことについてシンプルに考え過ぎてしまって、投げやりになったり気にしないという結果につながる可能性もあり、今はどちらかというと後者ではないか」

 では、この状況下ではどのように情報が発信されるべきなのだろか。

 藤井氏は「エビデンスとは対極的な意味で使われる場合がある『ナラティブ』という言葉がある。元々の意味は、物語、語り口、対話といったことを示すが、エビデンスが数字を使った量的なデータに基づくのに対して、ナラティブは質的な情報に基づく分析。複雑な世の中や社会状況をそれぞれが内容的に見ていくという視点や動機が生まれるような発信が必要なのではないか。

 例えば感染者数も大事だが、個人情報には配慮しつつ、その方たちがどういう背景・属性であるか、どういう感染状況、症状・治療経過だったかなどの、実際起きている事態を質的に伝えることが、物事の複雑性を理解し自分の考え方や行動に反映していくことにつながると思う」とし、

 「例えば感染症に関わる専門家が、個人の見解の範疇でエビデンスを語ることに一定の意義はあると思うが、それが人の心にどのような影響を与えるかということまでは、あまり考えられていないようにも感じる。人間の心理の複雑性を踏まえた情報発信や意思決定が必要ではないか」とした。

ABEMA/『ABEMAヒルズ』より)

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