「“北朝鮮が拉致するはずがない”“でっち上げだ”という声が政治家・メディアにも多かった」平沢勝栄氏が振り返る拉致問題
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 1977年に13歳で行方不明になった横田めぐみさんを探し続けて43年。再会が叶わないまま亡くなった滋さん。現在、日本政府が認定している拉致被害者は17人、その可能性がある人は800人を超えており、問題解決に向け進展が見えないことについて、安倍政権への批判が再び高まっている。

 一方、めぐみさんの弟・横田哲也さんが9日の会見で「あるジャーナリストやメディアの方が、安倍総理は何をやっているのかというようなことをおっしゃる方もいる。北朝鮮問題が一丁目一番地で掲げていたのに何も動いていないのではと。安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上も何もしなかった政治家や、北朝鮮が拉致などするはずないと言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理、安倍政権が苦しんでいる。安倍総理、安倍政権は動いてやって下さっている。なので、何もやっていない方が政権批判をするのは卑怯だと思う」と訴えたことが注目されている。

 11日の『ABEMA Prime』では、衆議院の拉致問題特別委員長を務めるなど、長年にわたって問題に取り組んできた平沢勝栄衆議院議員に話を聞いた

■「“北朝鮮を攻撃するためのでっち上げだ”という声が強かった」

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 そもそも、北朝鮮はなぜ日本人を拉致するようになったのだろうか。

 平沢氏は「後で結果的に分かったことだが、韓国との対立が厳しくなるにつれ、北朝鮮から韓国に工作員を送りづらくなっていった。そこで日本経由、あるいは日本人のパスポートを使って送り込んだ方がいいということになり、日本人を拉致し、日本語や振る舞いを教育するようになった。例えば1987年、ソウルオリンピックの前年に飛行中の大韓航空機が爆破される事件が起きたが、実行犯の1人である金賢姫は逮捕時に日本人のパスポートを持っていた。さらに、その教育係は拉致被害者の田口八重子さんに間違いないということもわかった」と説明する。

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 このような拉致事件が発生したのは、主に1970年代後半から80年代にかけての時期だとされている。1980年にはサンケイ新聞(現・産経新聞)が疑惑をスクープ報道したものの、世間の反応は冷ややかだったという。

 平沢氏は「今では考えられないことだが、小泉元総理が訪朝した際に北朝鮮が拉致を認める以前は“北朝鮮がなぜ中学生の女の子を拉致しなければならないのか”“日本人を拉致するはずがない”といった声の方が強かった。特に80年代までは旧ソ連・社会主義営の北朝鮮と、アメリカ・資本主義陣営の韓国は激しく対立していた冷戦時代。政党、政治家、東大教授などの有識者にも“共和国(北朝鮮)を攻撃するためのでっち上げだ”と主張する人が多く、空気としてもそれが支配的だった。確かに産経新聞は拉致だとして一生懸命に追っていたが、あくまでも“疑い”だったし、他のメディアは無関心なところが多く、中には北朝鮮寄りの報道をしていたところもあった」と振り返る。

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 日本政府が北朝鮮による拉致を正式に認めたのは1997年。この年、横田夫妻はめぐみさんが北朝鮮で生きていることを知った。娘を探し始めて20年が経っていた。そして金正日総書記が日本人の拉致を認め、5人の被害者の帰国が実現したのは、2002年、当時の小泉総理が北朝鮮を電撃訪問したときのことだ。

 元警察官僚でもある平沢氏は「当時、北朝鮮や旧ソ連の工作員を何人も捕まえていたし、海岸付近から人が突然いなくなるケースも相次いでいたので、北朝鮮が拉致したのではないかという声はあったし、警察も疑いを持ってはいた。しかし、はっきりした証拠がなく断言はできなかった。日本海で北朝鮮の不審船を見つけたことも何度もあるし、海上保安庁や自衛隊の航空機が追いかけたこともある。しかし銃撃戦のようなことになってしまうと大変なので実力行使は遠慮していて、不審船が北朝鮮の領海に入ってしまえば引き返さざるを得なかった。海上保安庁のレポートでは、1963年以降、途中まで行って引き返して来たことが20回もある。実力で止めていれば、その後の拉致は起こらなかったかもしれない。国会で初めて“拉致の疑いがある”という話が出たのは1988年、梶山静六国家公安委員長が言及してからだが、北朝鮮は1990年代に入ってからも否定し続けていたし、やはり証拠がなかった。メディアもそうだが、日本社会全体に問題があったと思うし、私たちは謙虚に反省しなければならないと思う」と話した。

■「今は政府のやり方一本に絞った方がいい」

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 しかし帰国者の中にめぐみさんの姿はなく、北朝鮮側は94年に自殺したと主張。後に遺骨の一部を日本側に提出しているが、これはDNA鑑定によって別人のものだと判明している。安倍総理は「めぐみさんを始め、拉致被害者の方々の故郷への帰還・帰国を実現するために、あらゆるチャンスを逃すことなく果断に行動していかなければならないという思いを新たにしている」との考えを示しているが、交渉にはほとんど進展がないまま、被害者家族の高齢化が進んでいる。

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 滋さんについて平沢氏は「滋さんとは数年前に病院でお会いしたのが最後になってしまった。非常に穏やかで誠実な、素晴らしいお人柄だった。滋さんと早紀江さんがいなければ、拉致問題がここまで多くの方に理解され、国民的運動にはなることはなかったと思う。日本にとっても大切な方を失ってしまったということだ。本当に残念でならない」とした上で、次のように話した。

 「一刻も早く解決しないと、家族だけでなく、被害者の方も亡くなってしまうことになり、真相は永遠に闇の中になってしまう。やはり関係者の皆さんがご存命のうちに解決しなければ意味がない。その意味ではもはや時間がないわけで、あらゆる方法・手段を使って急がなければならないと思う。一方で、拉致問題は日本中が関心を持っていることでもあり、支援者の方も含め、様々な方が政府のやり方に注文を付けがちだ。しかしそれでは政府が身動きを取れなくなってしまう。小泉さんが訪朝し、被害者を帰すという約束を取り付けた時にも、一部のご家族から“何のために行ったのか。子どもの遣いじゃない”という大変なご批判を受けた。小泉さんは一生懸命にやられていたし、安倍さんも一生懸命にやっている。やはり今は政府のやり方一本に絞った方がいい。その意味では横田さんのご家族の方は大変に冷静だと思う。それだけに、なおのこと私たちは解決を急がなければならないと思う。ただ、非常に難しいのは、北朝鮮側に解決するような動きが見られないことだ」。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

▶映像:証言する平沢勝栄氏

証言する平沢勝栄氏
証言する平沢勝栄氏
「これからも安倍総理とともに解決を図っていきたい」「的を射ていない発言をするのはやめてほしい」横田めぐみさんの弟・拓也さんと哲也さん
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