WBAスーパー&IBF世界バンタム級王者の井上尚弥(大橋)が14日、両国国技館で挑戦者アラン・ディパエン(タイ)に8回2分34秒TKO勝ちでWBA6度目、IBF4度目の防衛に成功した。今回は井上真吾トレーナーの目線で試合を振り返り、あらためてこの試合のチェックポイントを探ってみたい。
まずは第1ラウンド。互いに様子を見ながら、ディパエンが時折パンチを繰り出し、これを井上がブロックし、ジャブを出すという静かな立ち上がりだった。じっくりと構える王者と、何とか手を出そうとする挑戦者。思わず「蛇ににらまれたカエル」という言葉を連想した人が多かったのではないだろうか。
多くの試合で井上はスタートからあまり飛ばさない。相手をじっくり観察し、相手の情報を少しでも多く仕入れようとする。そして見切る。今回も予定通りの立ち上がりに思えたが、真吾トレーナーは「たらればですけど」と前置きして次のように語った。
「リズミカルなリードを叩いて相手をもっと動かしたら良かったかなとは思いました。ちょっとナオが相手を見過ぎて、手を出さないで構えちゃったのかなと」
硬かったのか、井上が試合後、「タイのボクサー独特のリズム、間合いを読みづらかった」ことが影響したのか。いずれにしても真吾トレーナーの話を聞くと「蛇ににらまれたカエル」という印象が、「格上の井上が圧勝する」という先入観にかなり影響されていることが分かって面白い。
2ラウンド以降、井上はピッチを上げ、まるでストレートのような重いジャブでディパエンを追い込んでいく。ジャブだけでなくワンツー、左ボディも織り交ぜ、4ラウンドには会場を沸かせた左のトリプル(左アッパー3連発)も飛び出した。
ちなみにこの左のトリプルは、元WBA世界ミニマム級チャンピオン、新井田豊さんの動画を見て「これはいいな」と思って用意していたもの。試合前に「次あたり出るんじゃないですか」と予告していたコンビネーションである。これはぜひもう一度振り返りたいシーンだ。
序盤にしてもうノックアウトは時間の問題。だれもがそう感じ始めたが、ここからディパエンが大いに粘り、井上に「オレ、パンチないのかな」と思わせたほどの粘りを見せる。井上はラウンド間のインターバルで「どうしたらいい?」と真吾トレーナーに何度もアドバイスを求めた。真吾トレーナーも挑戦者のタフネスぶりには舌を巻いていた。
「ムエタイをやっているからガードも固いんですよね。やっぱり頑丈だし打たれ強い。よくナオのパンチに耐えられるなと思いましたよね。ほんとに想定外でした。(そこを攻略するために)前半は『もしできればカウンターを打ちたいよね』と言ってたんですけど、あの流れだとカウンターもきつかったかなと」
中盤、井上はあえてスキを作ってディパエンにパンチを打たせた。軽いパンチを打って相手を誘った。しかし挑戦者のガードが固く、なかなかカウンターは打ち込めない。ならば下から崩そうと強烈なボディ打ちを見舞っていくが、本人曰く「ブロッキングされたり、ベルトラインの上だったりして浅かった」。ディパエンはなかなか弱ってくれなかった。
「いや~、僕のところから見ていたら、いいボディがけっこう入ってましたよ。ドネア戦のボディだったり、ナルバエス戦、ロドリゲス戦で出したようないろいろなボディを打ってましたから。あれで耐えるのはあっぱれとしか言いようがありません」(真吾トレーナー)
2019年11月のドネア戦では振り抜くようなボディでダウンを奪った。14年のオマール・ナルバエス戦でもガツンとボディを打ち込みヒザをつかせた。19年5月のエマヌエル・ロドリゲス戦では突き刺し、えぐるようなボディで2度のダウンを奪った。井上の必殺ブローをこれだけ食らって立っている選手はディパエンが初めてだった。
そしてディパエンはただ耐えていただけではなかった。その姿を目の当たりにした真吾トレーナーはまったく警戒心を解くことができなかったという。
「ナオのパンチが効いているはずなんですけど、ディパエンのパンチが生きているんですよ。試合を捨てていなかった。油断はできなかった。だからナオには『絶対気を抜くなよ』と言っていました。インターバルで相手のパンチの強さをナオに確認したら『なくはない』って言うんです。それって『ある』ってことなんですよ」
井上は警戒心を緩めず、それでもすべてのファンが期待するノックアウトへの道を模索し続けた。「判定も頭をよぎった」と少し弱気になりかけた井上に対し、真吾トレーナーは7回が始まる前にパワー勝負をリクエストした。
「どうしたらいいかって聞くんで、だったらよりしつこくいって、どっちかがギブアップだよね。あきらめるのか、あきらめさせるのかだよね。そう言って送り出して、パワー、パワー、強いパンチ、強いパンチ、という声を出していました。さすがに相手もアップアップになってましたし。あと一押し、力でねじ伏せるしかないのかなと」
7、8ラウンド、井上のパワーパンチが増えたところに注目してほしい。井上は指示通りグイグイと攻め、8ラウンド、ついに左フックでダウンを奪った。立ち上がったディパエンに再び左フックを浴びせると、挑戦者がグラリと揺れ、主審が割って入り、試合は終わった。この瞬間、井上の「ようやく仕事を終えた」という表情もぜひ堪能してほしいところだ。
決して苦戦ではないのに苦戦のように見えてしまうのがモンスターのモンスターたる所以だろう。真吾トレーナーは「たぶん相手がタフだから、本人も意固地になったところがあったのかなと。だから普段出せる引き出しもなかなか出しづらかったのかな。そう思います」と井上の心理を代弁した。
井上の次なるターゲットはバンタム級3団体統一戦、そして4団体統一戦だ。並行して統一戦の実現が難しくなれば、スーパー・バンタム級にクラスを上げる可能性も示した。クラスを上げれば対戦相手の耐久力が増す。そう考えるとディパエン戦はスーパー・バンタム級に上げた時の予行演習になったのか? 真吾トレーナーは「そうかもしれないですね」と笑っていた。
文/渋谷淳
写真/PXB PARTNERS