14日のABEMA『NewsBAR橋下』に菅義偉前総理が生出演。在任中に取り組んだ新型コロナウイルス対策について、旧知の橋下徹氏からの質問に答えた。
■ワクチン1日100万回…「総理の指示なくしては動かない」
橋下:「ワクチン接種、1日100万回」と菅さんが宣言された時(昨年5月)、最初は「無理だ」と猛批判を浴びましたよね。現場の方からも「そんなの、急に言われても」と言われたと思う。
菅:アメリカから5000万回分の確約を受けて、“1日100万回”という旗を振る前に、総務省に参戦してもらった。厚生労働省の所管はワクチン関係の部分だけだが、総務省は地方交付税の分配をやっているので、地方自治体と緊密な連携を取っている。そこで思い切って、武田総務大臣(当時)に「総務省として全力で取り組んでほしい」と指示をした。
それから、職域接種だ。日本には産業医という制度があるので、これも使うぞと。本社だけではなく、関係会社にも打って構わない。清掃会社があれば、その人たちにも打ってほしい、と。この窓口は厚労省ではなく、経済産業省にしてもらった。大学でも打ったが、これは文部科学省。自衛隊には医官が1000人、看護官も1000人いるので、地方自治体、総務省が対応できなければ派遣をすると、これは防衛省にも踏み込んで指示をした。
橋下:それはやっぱり総理が指示しないとできないものなんでしょうか。お話を聞いていると、全て総理からの指示じゃないですか。総理には他にも色んな仕事があるわけで、組織で対応しないとオーバーフローしてしまうと思うが…。日本の政治行政の仕組みがそれだと、総理がスーパーマンじゃないと対応できないと思うんですよね。
菅:当時はこれが全てだったから。そして総務省も、総理の指示なくしては動かない。役所の間で調整していたら、どれだけ時間がかかるか分からない。だから総理大臣以外も含めて、官邸で調整するというのがやはり一番早くて徹底できると思う。ただ、ワクチンを獲得するところは、それぞれの大臣が責任を持ってやらなければならない。
橋下:ワクチンを日本に持ってくる時には厚労省も含めファイザーやモデルナと交渉したと思うんですが、それもなかなか進まなかったんですか。
菅:あの時は、「これはオールジャパンでやる」と途中で切り替えた。厚労省だけではなく外務省、そして河野太郎担当大臣と阿達雅志内閣補佐官の2人を中心にやってもらった。
■エサ撒きをやってもらって、「これで大丈夫だな」と
橋下:そして最後は“トップ会談“で決めたんですよね。
菅:5000万回分の約束はしたが、正式に確保できていなかったので、昨年4月に訪米をした際、バイデン大統領との首脳会談後にファイザーのブーラCEOに連絡を、そこで返事をもらった。そしてオリンピック・パラリンピックの選手団や関係者に対しても協力したいということで、IOCにも話をした。そして帰ってきて、例の“100万回”をぶち上げたという形だった。
それはもう一回あった。7月、1日100万回の予定が1日平均150万回にまで達したので、8月には足りなくなりそうになってしまった。その時。たまたまブーラCEOがIOCに招待され、オリンピックの開会式のために来日していた。「思い切って勝負してみよう」と思って迎賓館に招待しようと。
橋下:民間人を迎賓館に招くというのは、それまでになかったんですよね。
菅:初めてだ。基本は国家元首だけだ。「来る」というので、脈があるのかな?と思った。和風別館での朝食会だったが、非常にきれいな庭があって、鯉がいっぱい泳いでいる。ブーラさんがそこを通った時、「ここでトランプ大統領が安倍さんと一緒にエサを撒いたのを知っている。ここですか?」と。すぐにエサを持ってきてもらって、エサ撒きをやってもらった。「これで大丈夫だな」と思った(笑)。結果として、去年10〜12月分のうち700万回分を8月に前倒ししてもらうことができた。当時、ワクチンの争奪戦がすごかった。
橋下:やっぱり国家のトップが出ていってやらないといけないという状況だったということですね。
菅:ファイザーの場合、アメリカで作っている分は海外に出さないと決めていたし、EUで作っている分をEUの外に出す場合はEUの承認が必要だった。そこは茂木敏充外務大臣(当時)にもやってもらった。結果、外に出てくるのは日本が5割以上と、圧倒的に日本向けが多くなった。総力戦だった。
橋下:イスラエルもトップが行って「自国民のデータを流すからうちに寄こしてくれ」とか、各国がすさまじい取り合いをやっていた。こういう話は、あまり積極的に報道されない。
■専門家からのオリパラ中止要請の動き「断った」
橋下:でも、専門家との関係については、やっぱり残念だったなという思いがあるのではないか。
菅:なかなかできない部分があった。
橋下:専門家の皆さんも一生懸命に頑張ってくれているが、この2年間を見ていると、この変異株にどれぐらいリスクがあるのか、どれぐらい恐れなければならないのかといった話が出てこないまま、とにかく「危ない」「行動を抑制しろ」「感染対策をしっかり」という話の繰り返しになっていたじゃないですか。
やっぱり専門家と菅総理、ないしは総理の考え方を代弁する人が議論をした上で、最後に菅さんが引き取って“総理決定”ということをやれば、国民も付いてきたんじゃないのか。菅さんが先にゴールを決めて、その後に専門家が「いや、それは違う」みたいなことの繰り返しになっていたじゃないですか。
菅:武漢で患者が発生した後の4〜6月のGDPは戦後最大の下落幅だった。そして全国に緊急事態宣言を出された。しかし、理屈に合わないことはやるべきではないという考え方になってきた。とにかく国民の雇用と事業継続は政府の責任だ。同時に感染拡大を阻止して収束させる。この両方について、世界ではロックダウンをして外出や都市間の移動を禁じ、従わなければ罰金を科してでも、ということだったが、結局は収束せず、ワクチン接種によって初めて状況が変わってきたと思う。
私はそうしたことを参考にして、「ワクチンこそがまさに切り札だ」と思って取り組み始めた。しかし先生方はワクチンの客観的な評価はなかなかしなかった。
橋下:だから専門家は行動抑制を言う。やっぱり、そういう菅さんの考え方と、尾身さんたちの考え方がぶつかる議論を見たかった。そうではなくて、菅さんの考え方でバーンと決めて、専門家が“それは違う”と言うと、どうしても世間は専門家の意見を絶対視してしまう。
菅:圧倒的に専門家だった。
橋下:だけど専門家の意見だって、絶対的に正しいわけじゃないから。結果的には、菅さんが考えていたワクチンと薬で抑えていくしかないよね、という方向性になってますからね。
菅:なってます?
橋下:オミクロンの話だって、そうなんじゃないでしょうか。
菅:ただ、オリンピック・パラリンピックの時だけは、「中止すべきだ」という要請を持って専門家の先生方が私の所に来るという話があったが、それを私はお断りした。
橋下:公開の場で尾身さんとそういう議論をするということは考えられなかったんですか。
菅:それは考えなかった。ただ、やはり政治は責任だ。そこは自分の判断でやるべきだと思っていた。
■総裁選前の衆院選は「選択肢になかった」
橋下:オリンピック・パラリンピックが無観客に決まり、8月に入るくらいまでは、どの番組のコメンテーターも「次の総裁選は菅さんが再選して継続だろう」と言っていた。僕は「政治は、一寸先は闇だから」と逃げていたが、感染者数が増えてくると、やっぱり政治状況が目まぐるしく変わってきた。選挙が近くなるとあんなふうに変わるもんなんですか。
菅:それはそうだと思うし、もちろん私はよく分かっていた。緊急事態宣言について判断するかどうか、3週間ぐらい前に決めるわけだから、去年の9月12日の時点で解除できなければ、やはり総裁選挙はやるべきではないなと思っていた。
橋下:僕はコメンテーターの立場で、総裁選の前に解散して突破していくのかなと勝手に思っていたが、それは永田町の中で…。
菅:永田町というよりも、私は新型コロナ対策を最優先でやると言っていたので、緊急事態宣言の中で選挙をやるというのは避けるべきだと思っていた。
橋下:総裁選前に衆院総選挙で勝てば再選だろうというようなやり方は?
菅:それは最初から選択肢になかった。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)