津波に奪われた教え子4人の命「彼らから笑われないように」 震災の経験を“自分の声”で次世代へ
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 東日本大震災から今日で11年。当時震度6強を観測し、津波被害にあった宮城県山元町で現在、語り部として活動する男性に、『ABEMA Morning』は話を聞いた。

【映像】青空にはためく「黄色いハンカチ」 震災当時の写真

 青空にはためく黄色いハンカチ。一枚一枚に書かれているのは全国各地、世界各国から寄せられたメッセージだ。

 これは、宮城県の南部・山元町で震災の翌年から行われている「黄色いハンカチプロジェクト」。先月23日には、防災教育の場として生まれ変わった「中浜小学校」のすぐそばで、ハンカチ約400枚の掛け替え作業が行われた。

 「黄色って元気になる色。なので、黄色いハンカチを全国に声をかけて集めたんです。もう心に焼き付かれていますけれど、やはり“頑張れよ”とか。全部大事です」

津波に奪われた教え子4人の命「彼らから笑われないように」 震災の経験を“自分の声”で次世代へ
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 このプロジェクトで中心になって活動しているのは、震災当時、山元町内にある中学校で校長を務めていた、「やまもと語りべの会」会長の渡辺修次さん。

 「3月になると心が変な動きとというか、苦しくなったりね。報道機関の中で11年目、10年目の節目だとか言ってますけども、私たちにはその節目はなくて。1日1日というかたちになるんだけども」(渡辺さん、以下同)

 震災当時、渡辺さんの自宅は約3分の1が水没。津波によって教え子4人の命が奪われた。そんな中、校長を務めていた中学校は避難所となり、渡辺さんはその運営に奔走したという。

 「あの大震災の時はもう無我夢中で、1日1日生活をしていたわけだけど。やはり今も生きたいあの生徒の人のことを考えた時に、私としてはその4人から今生きている私たちが笑われないようにしたい、伝えていきたい。同じような苦悩はさせたくない」

津波に奪われた教え子4人の命「彼らから笑われないように」 震災の経験を“自分の声”で次世代へ
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 そんな思いから2013年、「やまもと語りべの会」を発足。震災当時のことや震災後の町の変化などを語る「語り部」として活動を始め、メンバーも今では17人に増えた。

 「ガイドの人達の声で、自分の言葉で伝える、これが語り継ぐことであり。次の世代の人たちにはそういう経験・体験をさせたくない」

 活動を続け9年。語り部も多くが高齢化する中、「やまもと語り部の会」では、若者の防災士の資格取得を支援している。これまでに、中学3年生から20代までの7人が資格を取得した。

 「若い人たちがどんどんそういう資格を取っていけば。それからガイドをして、とにかく話をすることによって防災減災のはじめの一歩になれば、もっと違う災害の時に対応できるんじゃないか。正しく恐れて、そして正しい知識で、命を守るということが必要なのかなと思って取り組んでいます」

(『ABEMA Morning』より)

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