女子王者が21歳で突然の引退表明 寺山日葵、決断の舞台裏と那須川天心との秘話を語る「できた先輩すぎて腹が立ちます笑」
【映像】寺山日葵、引退会見の様子
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 立ち技格闘技イベントRISEの女子部門を牽引してきたミニフライ級王者の寺山日葵が、現役を引退する。寺山は会見に先立ち、独占インタビューに答えてくれた。

【映像】寺山日葵「人を蹴らない、殴らない女の子に戻ります(笑)」

 21才の若さで引退を決めた原因は、肉体と精神の両方にあった。1年半ほど前から、股関節に痛みを感じるようになっていたという。

「FAIといって、もともと骨に出っ張りがあったんです。なおかつ股関節の可動域が広くて、その出っ張りが関節唇(関節の周りの軟骨部分)にぶつかって亀裂が入っていました。普通は40代くらいで痛み出すらしいんですけど、私はキックボクシングで酷使していたので亀裂が入るのも早かったそうです」

 痛みで練習にも支障が出るようになった。試合でもかなりの痛みを感じる。昨年は2月、5月と試合をして、7月にもという話があったが9月まで間隔をあけた。それも負傷によるものだった。

「痛みは常にありました。特に私は蹴りが武器なので。練習でもたくさん蹴らなきゃいけない。足の筋トレを減らすと威力も弱まりますし。痛む時は下半身を酷使しないように、膝立ちでサンドバッグにパンチを打ったりもしました。とはいえ、やっぱり練習で充分に蹴らないまま試合はできないんですよ」

 パンチにしても、結局は下半身からの連動で打つものだから痛みはあった。酷い時はステップを踏むのも辛かったという。それでも、寺山は結果を出し続けた。2020年の秋、チャンピオンが数多くエントリーした「QUEEN of QUEENS」トーナメントで優勝。昨年は無敗のAKARIを相手にタイトルを防衛。1階級上の小林愛三とのチャンピオン対決も制している。完璧ではないコンディションの中、実力もつけていた。

「一つひとつの試合に後悔はないです。愛三選手との試合では、途中で痛みで蹴れなくなったんですけど、そこで前みたいに“どうしよう、どうしよう”とならず、それならパンチで勝負しようと切り替えて結果を残せましたし」

 いくつかの病院で診察を受け、昨年秋に痛みの原因が判明。年が明けてすぐに手術を受けた。それ以外に痛みをなくす方法はないという診断だった。

 手術は無事に終わり、医師からも復帰できると言われたそうだ。とはいえリハビリからジムでの練習を再開し、リングに戻るまでには1年かかる。しかも今回、手術したのは股関節の右側。左側にも同じような突起があり、いずれ痛み出す可能性があった。そうなるとまた手術の必要があり、1年のブランクができてしまう。

「正直に言うと、そういう状況で復帰して、今まで以上のパフォーマンスができる自信がなかったんです。私としては復帰するのがゴールじゃない。もっと強くならなきゃいけないので。そう考えると……。それに、以前から“一番いい時、一番強い時にやめたい”とは思ってたんです。それが今なのかなって」

 引退を決めた理由はそれだけではなかった。昨年9月の小林愛三戦に勝ち、試合後のインタビューで「次の目標は?」と聞かれたのだが、そこで言葉に詰まった。

「ずっと憧れてたJ-NETWORKのベルトを巻いて、RISEでもチャンピオンになって、トーナメントも優勝。さらに女子最強と言われる愛三選手に勝って、じゃあこれから何を目指せばいいんだろうって。海外の強豪と闘うというのもあるんですけど、私の階級だと選手が少ないんですよね。そういう、いろんな状況が重なって引退を決めました。

 格闘技に対する気持ちが薄れてる、なくなっている自分に気づいたというのもあります。去年の11月、弟(寺山遼冴)がRIZINに出たんですけど、その時にセコンドについて“頑張ってほしい”としか思っていない自分に気づいたんですよ。以前の私だったら“私も出たい、悔しい”という気持ちもあったはずなのに。(那須川)天心にもそういう気持ちがありましたから。それが今はなくなってしまったんだなって……生半可な気持ちで格闘技を続けるものじゃないって思いました」

 まだ21歳。進退をはっきりさせず“休養”という形を取ることもできたはずだ。ゆっくり休んで気持ちをリフレッシュさせ、戻りたくなったらいつでもリングに戻れるような状況にしておいてもよかったのではないか。そう聞くと、彼女はこう言った。

「私を応援してくださる人たちは“次の試合はいつですか”とか“復帰を楽しみにしてます”と言ってくれるんですよ。そういう方を期待させたまま、ズルズルと時間だけ経ってしまうのは申し訳なくて。はっきり引退という形を発表して、それで他の選手を応援してもらうのもいいと思います、格闘技界のためにも」

 引退を決めると、ごく近い身内に報告した。「食事の時も格闘技の話ばかり」だった父親は、本人のいないところでは「もっと続けてほしかった」と言っていたそうだ。それでも「格闘技をやめても夢を持って生きてほしい」という言葉をくれた。

 同門の那須川天心には、なぜやめるのかと聞かれた。理由を言うと「うん、いいんじゃない」という言葉が返ってきた。本人が決めたことならそれでいい、格闘技は無理に引き留めて続けさせるものではないということなのだろう。

「日葵は俺みたいに時代を作っていくタイプではないけど、与えられた場所で輝くことができる人間だから。それはこれからも自信もって生きてほしい。何かあったらいつでも連絡してきてよ」

 那須川からそう言われ「できた先輩すぎて腹が立ちますね(笑)」と寺山。「でも嬉しかった、ありがたかったです」。

 3月からは一般の仕事も始めた。「事務の仕事です。カタカナのジムじゃなく漢字のほう(笑)」。小学2年生の時からひたすら格闘技に打ち込んで、周りとは違う人生を送ってきた。経験していないことがたくさんある。

「部活に入っても格闘技優先で幽霊部員だったし、英会話教室にも通ったんですけどやめちゃったし。あとバイトもしたことないんですよ。同級生が“めんどくせ〜”とか言いながらバイトに行ってるのが羨ましくて(笑)。学生時代は“私もバイト”とか言いながらジムに行ってましたね。トーナメントに優勝した時にLINEニュースに載って格闘技やってるのがバレたんですけど。

 今でもそうですけど、私は自分に自信がない人間なんです。そんな私に自信を与えてくれたのが格闘技。でも、格闘技しか知らないということがコンプレックスでもあって。だから引退の決心もできたんだと思います。これまでとは違う世界も知りたいという気持ちも強くて」

 実際に“社会人”になってみると、知らないことばかりだった。それを知っていくのが今は楽しい。

「違う世界にいるからこそ、格闘技をやってきてよかったとも思います。あんなにキツいことやってきたんだからって思えるし、誰にでもできる経験じゃないですからね。横浜アリーナのリングに立ったり、SNSでアンチに批判されるのも含めて、普通じゃできないことばかりでした」

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 今後、弟のセコンドやマネジメントも必要とあればやっていくそうだ。

「引退したからといって、格闘技が黒歴史になるわけではないので。いずれ、サポートする側で格闘技を盛り上げていけたらと思います。だから格闘技について学んでいくことは続けたいですね」

 応援してくれた人たちへの恩返しができないままに引退することになり、申し訳ないという思いも強い。憧れの存在でもあるRENAと対戦してみたかった、とも。ただ、引退を決めたいま感じるのは、格闘技を通じて出会った人々こそ一番の財産だということだ。

「キックボクサー・寺山日葵は応援してくれる人なしでは成り立たなかったです。引退してキックボクサーではなくなったら縁が切れてしまうのかなと思っていたら、いろんな人が“これからも付き合いは変わらないよ”と言ってくれる。しかも、私を応援してくれる人は日本全国にいるんですよ。そんなこと、普通ないじゃないですか。やっぱり格闘技を頑張ってきたからですよね」

 現役生活を振り返ると、すべての試合に思い入れがある。中でも特に印象深いのは、QUEEN of QUEENSトーナメント・ファイナルの1日2試合だという。sasoriとの準決勝、紅絹との決勝だ。1回戦で納得のいかない内容に号泣。どん底に落ちたところから周りに支えられ、短期間で吹っ切れた。

 運動が得意ではなく、自分に自信がなく、それでも格闘技を愛し、おそらくは格闘技に愛されて立ち技女子の頂点と言える場所に立つことができた。あまりにも若い引退だが、そのキャリアの“濃さ”は本人にしか分からないものもあるだろう。

 いま我々にできるのは、彼女の選択を尊重することだけだ。いずれまた会いましょう。そう言って笑顔で見送りたい。

文/橋本宗洋

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【映像】寺山日葵 緊急引退会見
【映像】寺山日葵 緊急引退会見
【映像】寺山日葵、引退会見の様子
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