がんをテーマに番組作りをしていた私たちは、2015年、専門医の中村将人さんと出会った。信州大学(長野県松本市)に学び、2006年に外科医として同市の相澤病院にやってきた。1年後、担当医のいなかったがん化学療法の専門医に転向。今では県内のリーダーの一人になっている。
そんな中村さんが去年1月、Facebookに「今年になって検診を受け、甲状腺がんと診断されました。いくつかリンパ節に転移を認めるため、来週手術の予定です。」「今までがんの治療を行う側でしたが、今回は受ける側ですね。」と投稿した。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『がんになった医者』より」)
■「先生から怒られるタイプですね」
「何の症状もなかったんですけど、相澤病院でやっているPET検診というのを、何か知らないけど受けてみようかっていう気になったんですよ。主な腫瘍が甲状腺に9ミリあって、リンパ節にいくつか転移があって」。
1月28日の手術当日。主治医の橋都透子医師が検査をし、首筋に目印を付けていく。「もう橋都先生にお任せですよね。信頼している先生なので」。リラックスした表情で手術室に入った中村さん。しかし、全身の代謝に関係するホルモンを分泌している甲状腺を摘出した以上、これからは薬で甲状腺ホルモンを補っていくことになる。
術後2日、声はほとんど出なくなったが、予定より1日早く退院することが決まった。さらに術後1週間で仕事に戻るつもりだと言う。いくら何でも早すぎるのではないか。家族はそう思っていたという。
術後6日、依然として声は出にくいまま。中村さんも「あとは…声だけ出てくれば…」と焦りを隠せない。それでも、「普段は患者さんに“焦らずゆっくり休んでくださいね”と言ってるんですけどね…(笑)。先生から怒られるタイプですね」と笑顔を見せた。
退院から9日後、化学療法の同僚である杉井絹子医師のもとを訪れた。中村さんの話を聞き、杉井医師は「声が出なかったら患者さんも心配されると思いますし」「それじゃあまだ患者さんは(聞き取れない)」と心配そうな表情を浮かべた。
■「もっと休めって言ったんです。大丈夫な態勢を作ったんだからって。」
手術後の病理検査の結果が説明された。摘出した甲状腺を薄く切り、組織を詳しく分析する。がん細胞が広い範囲に及んでいたことが分かった。
「あれだけ広がってたというのが、ちょっとびっくりはしましたけど、逆に全部取って良かったなと。患者さんを何千人と診てきて、ご家族とも話して、という経験はあるんですけど、“でもお前、なったことないでしょ”って言われたら“おっしゃる通り”としか言えなかったので。変な話だけど、“引け目”を感じなくなるというか、色々とわかった上で話が出来るようになるのかなって。ポジティブに考えるとね」。
経過は想定内だったが、やはり声が出ないことが心配だ。とにかく仕事に復帰したい、出来ることは何でもやってみようと、言語療法士によるリハビリを取り入れた。ため息や咳払いもリハビリになる。「声が出てきている実感はあるんですけど、まだ、出すのにすごいエネルギーを使っている状況」。
退院からちょうど半月がたった2月15日。診察は無理でも何か役に立ちたいと、半日勤務を始めた。まだ白衣は着ることはできない。がん集学治療センターの三島修センター長は「もっと休めって言ったんです。大丈夫な態勢を作ったんだからって。でも出てくるということで。責任感で、やりたかったんじゃないかと思いますね」。
術後25日、職場復帰の日がやってきた。病院に入り、挨拶を交わす。久々の白衣姿の中村さんに、看護師は「がんばろう。ゆっくり、ゆっくり」。仕事と治療の両立が始まった。外来患者の診察は一日に20人程度。
病棟とも往復しながら、自分の治療の時間になると白衣のまま、橋都医師の前に座る。「だいぶ落ち着いてますね。腫れはね、半年くらいは最低続きます」「声はだいぶ出るようになりましたけど、夕方はダメですね」と指摘され「はい、一定のとこまでしゃべると終了です…。サイレントモードに入ります」。
■「患者のつらさ、悩み、痛み、わかった上で対応していただいてる…。」
4月、治療は次の段階に移っていた。「放射性ヨード内用療法」と呼ばれる特殊な治療で、市内の大学病院で受けることになった。手術後もわずかに残る甲状腺の組織を放射線の力で破壊し、再発のリスクをなくすのが目的だ。効果が現れるまで半年ほどかかるとの説明を受けた。
ゴールデンウイーク、思いのほか長い休みが取れた中村さんの元に、東京の大学に通う一人娘のまいさん(21)がやってきた。
「がんの先生なので本人が一番わかってるだろうなって。だからすごく不安になるということはなかったんですけど、あとから治療の状況を聞いて、大変だったんだとは思いました」との娘の言葉に、中村さんは「今までならゴールデンウイークでもずっと病院や往診に行ってたんですけど、今年は朝から晩まで家にいます。こんなにゆっくり一緒に過ごしたことないっていうくらい一緒に過ごせているよね。今までは全力疾走でしたけど、ちょっと家族のこととの両立も考えなきゃなと思いましたね」。
術後約10カ月後の11月。この日、1月から担当してきた腎臓がん患者の山田峰雄さん(74)がやってきた。「がんが大動脈にへっついちゃってるもんで、手術は出来ないらしい。それで中村先生に化学療法を」。免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる新しい薬を使って治療している山田さんだが、体調が悪く、治療を休まなくてはならない日が続いていた。
あえて自分から治療のことは話していないという中村さん。がんと闘っていることをスタッフから聞いて知った山田さんは「先生の顔をみるとほっとする。点滴打てると言われるともっとほっとする」「患者のつらさ、悩み、痛み、わかった上で対応していただいてる…。頼りにしてる」。
■「なる時はなります。再発するときはするでしょう」
その中村さんが、大学病院で受けた放射線治療の効果を確認する日がやってきた。手術後に残っていた甲状腺組織が消えていれば、甲状腺がんも消え、再発のリスクが下がった証明になる。
「放射線の治療の効果が完全に表れたというか、完全に焼き切れたということで治療効果としてはもう満点です」と橋都医師。冷静な中村さんとは対照的な表情で聞いていた家族に「これでひと段落で、また検査は続けていきましょう、よかったよかった」。
まいさんは「良かったです」とつぶやいた。降りかかる不安を一つ一つ消しながら、1年間過ごしてきた家族。がん専門医であっても、がんを避けることは出来ない。当たり前の事実を受け止め、病気から逃げずにまっすぐ対峙してきた中村さん。
再発リスクについて中村さんは「なる時はなります。再発するときはするでしょうし、死ななきゃいけないこともある。やるべきことはきちんと、できることはしたいし、長生きしてこの世の中に長くとどまっていたいとは思う」と力を込めた。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『がんになった医者』より」)