市民からのクレームで裸婦像を撤去? 美術家からは「裸は崇高な理念の象徴」「皆が喜ぶものを量産しても意味がない」との声も
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 宝塚音楽学校(兵庫県宝塚市)の前に架かる宝塚大橋。その橋梁工事に伴い昨年から一時撤去され台座のみとなっていた裸婦ブロンズ像「愛の手」について、市が再設置を見送ったことが議論となっている。

【映像】裸婦像は不適切? 公共空間アートのあり方は

 像は1978年に橋が開通した際に設置されて以来40年にわたって親しまれてきた一方、市には「ジェンダー平等の観点から公共の場にふさわしくない」等、十数件の反対意見が寄せられていたという。

■現代美術作家・柴田英里氏「裸は崇高な理念の象徴。ホームレス排除のパブリックアートの方が問題」

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 そもそも公共の場所に設置される彫刻は、なぜ裸体像が多いのだろうか。現代美術作家で文筆家の柴田英里氏は「それが特定の人物ではなく、“愛”や“平和”といった崇高な理念を人間の姿を通じて表現するものだからだ。逆に裸でなければ俗物的なものなってしまう」と話す。

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 「例えば実在の軍人であれば功績を象徴するような階級章の付いた軍服姿で制作するだろうし、上野の西郷隆盛像も犬を連れている様子に“らしさ”を表している。ダビデ像についてもモデルとなった歴史上の人物がいるものの、どちらかといえば美しい理想の人体を表現したものだ。また、女性の裸像が多く感じられるのは、パワーの象徴として男性の像が制作されていた戦前と違い、戦後は愛や平和といったモチーフが増えたからだと考えられる」。

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 その上で柴田氏は市に寄せられているというクレームについて「第一に、理念、象徴であるという捉え方をされていないのだろう。もちろん私が裸で歩いていたら公然わいせつの罪に問われてしまうが、これは俗世の人物を象ったものではない。第二に、先ほど説明したような、男はパワー、女性は愛や平和という二元論になっているのはジェンダーバイアスだ、という問題意識があるのではないだろうか。

 もちろん、アート全体の継続性を考えれば、設置から40年が経ったものではなく、今の時代の価値観に合った若手のアーティストを起用されるというのが個人的には嬉しい。そこで自治体が考えなければならないのは、撤去の理由だ。本当に差別などの人権侵害や名誉毀損になりうるからということなのか、それとも単に見た人が不快だからということなのか、そこがきちんと審議されないままに決定されてしまえば、“宝塚市ではこうだった”と他の自治体が先例にしてしまうことになる。

 クレームを受けて“じゃあ作品の展示を取りやめる”となった場合、炎上させた人たちの“成果”“業績”になってしまう。クレーマーたちに“キャンセルさせた”という成功体験を与えてはいけないし、だからこそ言葉で戦うべきだ。そもそも公共の場所というのは誰か一人でも嫌な気持ちになってはいけない場所なのだろうか。私はそうではないと思うし、むしろホームレスを排除する目的で作られているパブリックアートの方がよほど問題だと思っている」。

■「クリエイターのメンタルケアの体制がとても重要な時代になってきている」

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 メディアアーティストの市原えつこ氏は「私の作品は性や死など、センシティブなテーマを扱いがちなところもあって、批判を受けることも多かった。作品の中には、私の考えが浅かったな、最近の倫理観とは合わないな、と感じるものもある。ただ、アートというのは現在の倫理観から逸脱しながらも新しい価値観を生み出したり、社会を批判したりするものなので、見て不快になる人がいて当たり前。それを避けて皆が喜ぶものだけを量産しても意味がないのではないか。

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 そしてアート作品は作家が亡くなった後も残るもの。例えば100年後に“裸体こそが最高”みたいな価値観になったとして、撤去されただけならまだしも廃棄されてしまっていたとしたらどうだろうか。長期的に見れば価値観は揺れ動くものだということ認識して判断しないとまずいと思う。公共の場での展示についても「美術館に行く人は限られているし、街中で、誰でも見られるところに鑑賞体験を用意するのはすごくいいことだと思うので、数件のクレームでダメになってしまうのは悲しい。

 一方で、最近のクレームの問題は学生さんなど感性が豊かで柔らかい若い世代にとってはシビアな問題になっている。耐性を付ければいいという意見もあるかもしれないが、繊細だからこそ生み出せる表現もある。クリエイターのメンタルケアの体制がとても重要な時代になってきていると思う」と訴えた。

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 元経産官僚の宇佐美氏は「芸術の理論に政治が寄り添う必要は必ずしもないし、住民に“嫌だ”と言われたら、まずは何とかしなければ、と考えるのが行政だ。例えば僕の家の近所の公園にはホームレスがいたが整備事業によっていなくなった。子どもを遊びに行かせる親の立場として、ほっとしたというのが本音だった」とコメント。

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 ジャーナリストの佐々木俊尚は「ゆるキャラで成功した自治体や、プロジェクションマッピングを成功させた自治体が登場すると、全国一斉に“右へ倣え”で始めるのが自治体の特徴だと思う。むしろ、他が当てたこと以外やりたがらない(笑)。裸婦像についても、どこかの自治体で予算を投下した結果うまく行ったことで全国の自治体が作り始めたのかもしれない。

 実際、どこへ行っても似たようなテイストの裸婦像を見かける気がするので、もっと現代アート寄りのものもあってもいい。一方で、不快さだけを理由にやめるのは本当に良くない。例えば六本木ヒルズには巨大な蜘蛛のオブジェの現代アートがあるが、昆虫が苦手な人がやめてくれと言ったら撤去するのだろうか。表現の自由の問題につながってくる話だ」と指摘していた。(『ABEMA Prime』より)
 

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