人工妊娠中絶の権利を認めた過去の判例を覆したアメリカの連邦最高裁判所。抗議デモが全米各地に広がる中、今後、約半数の州で中絶が事実上の禁止、もしくは制限される見通しだという。
【映像】アメリカの分断が再加速?中絶はなぜ“違憲”になったのか
今回の判決が各州法に与える影響について、合衆国憲法に詳しい拓殖大学の小竹聡教授は、次のように説明する。
「今回の判決で合憲とされたミシシッピ州法は、母体の健康を害する場合、あるいは胎児が重篤な障害で産まれる可能性がある場合についての例外規定はあるものの、強姦や近親相姦、DVの被害者に対しても中絶を認めないという内容だ。
これで各州は憲法に縛られることがなくなったので、保守的な州は中絶を禁止してもいいし、逆にリベラルな州は中絶の権利を徹底的に擁護し続けてもいい。また、“赤い州・青い州”という言葉があるように、あまり変化のない州もあるが、州知事選挙や州議会議員選挙の結果によっては禁止から容認に傾いたり、容認から禁止に傾いたりすることもある。
このことを持って、禁止されたとしても、合法の州に移動すればいいのでは?という意見もあるが、それは日本的な発想だ。アメリカの広さを考えれば、それほど引っ越しは簡単ではないし、手術自体は20〜30分で終わるものだったとしても、“1日待ちなさい、その間によく考えなさい”という“待機要件”を設けている州もある。1泊ないしは改めて通院しなければならないと考えると、お金の無い人にとっては手術を受けに行くのも簡単なことではない」。
■裁判官9名のうち5名の“多数意見”が決め手に
昨年11月に『アメリカ合衆国における妊娠中絶の法と政治』(日本評論社)を上梓したばかりの小竹教授。「この本の賞味期限は半年と予想していたが、見事に判決がひっくり返ってしまった」と苦笑する。“ひっくり返った”というのは、中絶は憲法上の権利であるとした1973年、そして1992年の判決だ。
「1973年の判決(ロー判決)は、アメリカではほとんどの方がご存知の“超有名判決”だ。アメリカの連邦最高裁判所には9名の裁判官がいるが、このうちの7名が“中絶を選択する権利がある”という判決を下した。そう聞くと、合衆国憲法には中絶の権利が書いてあるのかしら、と思われる方も多いと思う。しかし最初から最後まで条文を読んでも、中絶の“中”の字も出てこない。では、どうやって権利があると認めたのか。そこで出てくるのが“プライバシーの権利”だ。
プライバシーと言うと、日本では“盗聴されない”といった意味で使われているが、アメリカでは“autonomy"、つまり自分の事は自分で決めるという意味がある。そして合衆国憲法の修正14条には“適正手続きなしに自由を奪われない”と書いてあるので、この“自由”にプライバシー、さらには中絶を選択する権利があるんだと“法創造”、いわば“解釈”を生み出したということだ。それから約20年後の1992年、連邦最高裁が再びこの判決を確認した(ケイシー判決)。
しかし今回の判決では、“そんな権利は憲法には書いてない、憲法に書かれていない権利が保障されるためには一定の条件が必要だ。その条件は、わが国の歴史と伝統に深く根ざしているものだけだ”、という論理を持ち出した。中絶の権利というのは1973年より前には無かったものなので、歴史と伝統には則ってはいない、と9名のうち5名の裁判官が主張、これが多数意見になったということだ」。(小竹教授)。
■「トランプさんは“ラッキー”だったのだろう」
この“多数意見”を形成するために政治が動いてきたという歴史も見逃せない。今回、ロー判決を覆した判事5名のうち3名は、トランプ前大統領が指名した裁判官だった。
中絶を権利として尊重する立場のバイデン大統領が「この国の女性の健康と命が今や危険にさらされている」とコメントしたのに対し、胎児の生命を尊重するとしてきたトランプ前大統領は「裁判所は憲法、法の支配、そして何よりも命にとっての勝利をもたらした」と支持者に呼びかけている。
「最高裁判所の裁判官は大統領が指名し、上院が助言と承認を与えると合衆国憲法に定められている。そして自ら辞職するか死亡するかしない限り交代のない終身制だ。だから1973年以降の共和党の大統領は、隙あらば判決をひっくり返そう、そういう裁判官を任命しようとしてきた。
一方で、政治的な右・左で判断はしないというのが、法律家として最高裁判所の裁判官の見識でもあった。それがこの数年で、イデオロギーが分極化した状況に対して、裁判官もまた分極化するようになった。その意味では、この状況下で3名の裁判官を任命する機会を得たトランプさんは“ラッキー”だったのだろう」(小竹教授)。
■パックン「非常に残酷というか、いじめだと思う」
また、トランプ前大統領のような立場=“pro-life”派と、バイデン大統領のような立場=“pro-choice”派の思想的対立の背景には、宗教観の問題も横たわっているとされる。
トランプ前大統領を批判してきたパックンは「アメリカの世論は間違いなく“賛否両論”だが、中絶の権利は合憲であるべきだと思っている6割の国民の気持ちがないがしろにされた判決だ。そもそも6名の保守派判事を指名したブッシュ元大統領とトランプ前大統領は、大統領選挙で当選したとはいえ、得票率では負けているので、民意に選ばれていないと思う」と憤る。
「1973年の判決が出るまで、アメリカでは“闇中絶”が大きな問題になっていたし、その中で命を落とすお母さんもいっぱいいた。判決後、そういうことを無くすため、一定の週数になる前だったら中絶していいとする保守的な州も現れた。しかし共和党が“これは使えるぞ”と煽りに煽り、“受精したその瞬間から命だ”という議論も出てきた。
僕もpro-choiceだが、生まれる寸前の子どもを中絶してはならないと思ってはいる。でもどこかで妥協点を見い出さなければ、お母さんの心と身体が犠牲になってしまう。pro-lifeの皆さんが中絶に反対するというなら、産み育てるための福祉の制度をセットで考えればいいと思う。でも共和党はそういう予算を増やすことにも反対だ。非常に残酷というか、いじめだと思う」。
■果たして他人にも強制していいのだろうか?
パックンの指摘を受け、小竹教授もこう話す。
「私は必ずしも宗教だけの問題だとは思っていない。特に1970年代、80年代以降、共和党の人たちが“宗教右派”、あるいは“福音派”と呼ばれる人たちを動員するために、この問題を煽ってきたからだ。また、よく“カトリックの人が”と言われるが、カトリックはアメリカの人口の3割にも満たない。むしろ主要なpro-lifeといわれるプロテスタントの福音派の人たちの根底にある、家族に対する考え方の問題も大きいと思う。
中絶を望むのは何も性暴力の被害者だけでなく、例えばキャリアのために今は断念せざるを得ない、という方もいらっしゃる。しかし家族について強い考え方を持つ人たちにとってそれは家庭の破壊であり、“母親業”をやらなければならないのだということになる。“今どき?”と思われるかもしれないが、そういう根深い思想があり、決して相容れないということだと思う。
そこには確かに宗教の要素も入って来るのだろうとは想像するが、果たしてそれを他人にも強制していいのだろうか、ということが問題だ。pro-lifeも思想の自由だし、それに基づいて生活されている方もいらっしゃる。しかしレイプされた場合でも中絶は禁止だ、産んで育てなさいという法律を作っていいのだろうかと言われれば、多くの方が首をかしげるのではないか」(『ABEMA Prime』より)
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