「一国の元総理ですし、拳銃による殺害の相対的に少ない日本で、いきなり一番狙われなさそうな人がやられて死亡に至った大事件。これ一色になるのは今回はやむを得ないと思いますが、それよりもこんな事件が起きた後で『これは民主主義に対する挑戦だ』っていう異口同音にみんなが行ったっていうこと自体が、こんな危機のときに自分の頭を使わずにパターン認識で決まった言葉を人から借りてきて喋るっていう。それが日本の一番のインテリ層、有識者層である。これはもう日本の最大の弱み。平和ボケそのもの」
8日、午前11時半ごろ、奈良市・近鉄大和西王寺駅付近で街頭演説中に襲撃された安倍元総理大臣が、搬送先の奈良県内の病院で亡くなった。67歳だった。
列島に深い衝撃と悲しみが広がった襲撃事件。参院選の真っただ中に起こった凶行について、岸田総理大臣は「民主主義の根幹たる自由で公正な選挙は絶対に守り抜かなければならないと思っている。決して暴力に屈しない」などと発言した。また公明党の山口代表も「参議院選挙の最中に言論を封殺するような暴力行為が行われた。これは厳しく断固非難する」などと厳しい口調で語れば、日本維新の会の松井代表も「民主主義っていうのは、暴力では止められない」と述べるなど、各党の代表が一様に民主主義、言論の自由を暴力によって封殺することに対する怒りをあらわにした。
しかし、一様に述べられた「これは民主主義に対する挑戦だ」という言葉に対して、冒頭のように危機感を露わにしたのが、慶応義塾大学准教授の小幡績氏だ。
小幡氏は「自分の都合よく何でも解釈したがっている。現実を全く見ない。日本の民主主義の危機だというと話も大きいので、思考停止なのと同時に、自分に都合よく事実を見ない。日本の病巣というのは、まさに空気を読むってことに表れていて、空気を読むというのは、思考も停止しているし、思考もできないことの表れ。自分で判断できないし、どうしていいかもわからない。それは存在感をなくするっていうこと。自分が意味のある発言をしないように発言する。それはさながら土俵から出ないように土俵の真ん中にずっといること。空虚な意味のないことを言い続ける。空気を変えるとか、流れを変えるというのも、何となく求められているのを勝負せずにやっている。空気を読むというのは、土俵ギリギリは歩くけど、絶対に土俵からは出ないようにもの凄く注意している。つまり、全員が何も考えていない。空気ということを象徴しているように、何もリアルが存在しなくて、空なんです。からっぽのものがあって、何もいれずそのままでいようとして、すべての判断思考を避けてるっていうのが、空気を読むということ」と続けると、次のようにも主張した。
「今回みたいなショッキングな事件が起きた時ですら、自分の率直な感情や衝撃を表せばいいと思う。できなければ、できないと言えばいい。そうではなく、空気を読もうとする。何も意味のない、空なことをコメントする。これが日本の一番の弱さを表している」
一方、津田塾大学教授で哲学者の萱野稔人氏は、政治哲学の観点から今の現象を次のように分析する。
「あまりに今回の事件が大きすぎる事件なので、通り一遍の反応になるのは仕方がない。なんとなく亡くなった方を賛美するような報道になるのが少し違和感があるという気持ちも分からなくもないが、それを超えている」
そのように切り出した萱野氏はさらに、
「民主主義に対する挑戦とか、破壊だけではなく、近代の政治原理そのものに対する挑戦行為そのものだと思う。近代政治の根本にあるのは『正しさは人それぞれだよね』という認識。もともと、中世を克服して近代がある。つまり、中世は宗教戦争の時代で、自分が正しいと思ったことは絶対だから、それに従わないやつは殺してもいいと。その結果、宗教戦争が自分から見て異端に対して、殺し合いが続いた。それを克服したところに近代政治がある。正しいからと思っていたからと言って、正しさのために何をしてもいいというのは止めましょう。正しいをそれぞれ追及してもいいけど、個人で決めてください。そこは政治はもう踏み込みません。でも大事なのはルールです。手段です。自分が正しいと思ったことのために何をしてもいいんだという発想そのものが、近代政治にとっては危険。目的のために手段を選ばずというのは、すごく中世的な発想」
そのうえで、正しさのために何をしてもいいという考え方が頭をもたげた時に、そういった部分とどう決別していくか。改めて大衆化されたメディア状況の中で根付かせていくか。今回の事件で突きつけられた問いではないかと主張した。(ABEMA『ABEMA的ニュースショー』)
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