東京大学に入学直後、旧統一教会へ入信。およそ11年半後に脱会した金沢大学の仲正昌樹教授が、安倍元総理銃撃事件後からメディアやSNSなどで続いている旧統一教会へのバッシングに対して警鐘を鳴らした。
「80年代の東大生はコンプレックスの塊が多い。自分はたまたま東大に入れたんじゃないか? 私は弱いから東大に入ったんだって。統一原理や聖書の話と当てはめていくと、引き寄せられていく感じになる」
そう語るのは、元旧統一教会信者で金沢大学の仲正昌樹教授。1981年、東京大学入学とほぼ同時に旧統一教会に入信するも、11年半後に自らの意志で脱会した。そんな仲正教授が、自らが旧統一教会で体験した出来事を赤裸々に明かした。
旧統一教会は、1954年に創始者・文鮮明氏により韓国・ソウルで創立。さらに1959年には日本統一教会を創立した。文氏は自らをメシアと呼び、文夫妻が人類の真の父母だといった。そんな文氏が1968年、共産主義に勝利することを目的とした国際勝共連合を創設したが、宗教学者の島田裕巳氏によると、日本財団創立者の笹川良一氏と岸信介元総理大臣が国際勝共連合の設立に協力したという。
島田氏は「ソ連の共産党をどうするか、中国共産党をどうするかなど、日本の共産党をどうするかなど、日本の社会の中で共産主義の脅威が非常に強かった。それらを何とかしようということで、勝共連合という組織が生まれて、勝共連合の組織を生んだ文鮮明氏は統一教会ではカリスマであり救世主とみなされた。出発点からして政治と宗教が深く結びついていた」と説明する。
また島田氏は政治と宗教の関わりについても「岸さんは冷戦抗争の真っただ中にいた人。共産主義をどうするのかというのが、ひとつの政治的な課題になっているので、まず勝共連合と結びつく形になった。それが受け継がれてきていると考えた方がいい」とも続けたが、世界平和統一家庭連合の田中富広会長は岸元総理との関係について「特別な影響を与えていることはない」と答えている。
1960年~70年代、日本国内ではベトナム戦争、日米安保、沖縄返還、成田闘争など、保守政権を打倒する反体制的な学生運動が渦巻いていた。そんな時代背景の中、旧統一教会の大学生向けサークルとして生まれたのが、原理研究会である。この原理研究会へ東大入学とほぼ同時に入会したのが、仲正教授だ。
当時のことについて仲正教授は「一対一で講義を受けた。たいていは自分だけの悩みだと思っているようなことが、聖書に書かれているような人類全体の問題であると意義付けしてくれる。悩んでいることと通じているように説明する」と振り返る。
広島から上京したばかりで不安を抱えて入寮したのが、駒場寮だった。そこで幅を利かせていたのが、左翼系サークル。そんな時に声をかけてきたのが原理研究会だった。仲正教授はほどなく、駒場寮を出て入信したという。
「原理研の他のメンバーは優しかった。話を聞いてくれた」
また、左翼系サークルに対する嫌悪感も信仰を深めた一因にもなった。信者となった仲正教授は教団で約1カ月にわたる長期研修に参加。その間はテレビを見ず、外部との連絡を遮断。時には徹夜でのお祈りもあったという。
世間からは「洗脳だ」と問題視する声も上がり、「洗脳された」と訴える親もいた。しかし信仰心を持っていた仲正教授は「洗脳と騒ぐほどでもない」と思っていたという。
ちょうど時を同じくして、先祖の祟りがあるなどと言って統一教会の名を隠し、印鑑やつぼなどを売る霊感商法が社会問題となり、度重なる訴訟問題に発展した。教団は度々敗訴している。霊感商法に限らず、仲正教授自身も「信仰心を強める」との目的で、夏休みに“珍味売り”の訪問販売をさせられたという。
「かなり大きなバッグに500グラムの珍味を20袋くらい詰め込んで、走りながら訪問する。別に監視されていたわけではなかったが『信仰があるなら走れ』と。1袋は2500円。統一教会としては資金集めだと」
この商品販売は教団では“万物復帰”とされ、サタンに奪われた万物を取り戻すための行為だと教えられていた。しかし、この教えは建前で、実際には信者同士を競わせていた側面もあるのでは、と仲正教授は指摘する。
「統一教会と言っているが、お互いかなり仲が悪い。ライバル心が結構ある。自分こそが一番信仰を持っていると競おうとする」
安倍元総理銃撃事件の山上容疑者の母親が、破産してもなお献金していたのは、信者に刷り込まれたライバル心の影響があったのかもしれない。
仲正教授は東大を卒業後、文氏が提唱した世界日報社に就職。世界日報とは、統一教会を発行母体とする1975年創刊の保守系新聞のこと。90年代には創始者の文氏が初対面で顔を合わせた男女の結婚を決める合同結婚式が世間から注目され、バッシングが強まっていた。当時のことについて仲正教授は「固定給は6万5000円。しかし、固定給が払えなくなった。多分、(資金が)枯渇しているのはみんなわかっていた。普段だったら右系の団体や保守的な実業家が広告みたいな形でお金を出してくれていたのも入らなくなった」と話す。
この話と山上容疑者の話を照らし合わせると、山上容疑者の母親が入信し多額の献金を繰り返していたのも、旧統一教会が資金繰りに苦しむようになったのも1991年ごろのことだ。 そんな仲正教授に脱会を決定づける出来事が起こる。
「合同結婚式の相手との関係について、色々なことを無理に我慢していたような気がしてきた。本当に好きなタイプの女性なら、許したかもしれないが…」
文氏によって選ばれた仲正教授の結婚相手に重大な隠し事が発覚したのだという。
「(文氏を)メシアと思って信じようとしてたんですけど、『メシアはそういうことを見抜けないのか?』と聞いたら『見抜けない。具体的にどういう隠し事をしているかなどは見ておられない』と言ったんです」
1992年10月、仲正教授は統一教会を脱会。11年半の信者生活を終えた。安倍元総理が凶弾に倒れた今回の事件について、元信者として何を思うのか。仲正教授は現在、メディアやSNSなどを通じて教団に対して強い批判が集まっていることに警鐘を鳴らす。
「教会の方針に対して批判するならいい。もう行き先が無くて迷っているような一般の信者に『原理はもともと問題がある』など、そんなことを平気で言ってしまったら『統一教会を辞めても自分がずっと否定され続けるんだな』となってしまう。そういう負のループを断つべき。信教の自由としてここまでは認めるよと。こういう仕組みにすべきだと思うなど、(批判だけではなく)ちゃんと提示すべきだ」
ショッキングな銃撃事件が起きたいまは脱会のチャンスでもある。しかし、(教団や信者が)過度の批判を浴びることで社会に出ることを恐れ、逆に信仰の殻に閉じこもってしまう恐れがあると指摘した。(ABEMA『ABEMA的ニュースショー』)
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