数ある高校の部活動の中で、なぜ野球部が特別視されているのか。全校応援などが当たり前になっている風潮を疑問視する声が上がっている。
「高校野球の『強制応援』撤廃を求めます!」
若者の声を政策に反映させることを目指す団体「日本若者協議会」は、野球部の試合での「強制応援」をやめるべきだという署名を立ち上げた。団体には、高校生から「高校野球の強制応援をなくしてほしい」といった声が届いているようだ。
「香川県のある高校では1年は野球応援が強制。それもお金は各自の自腹。なぜ強制かつお金は自腹なのか?私は野球に興味関心はない」(署名サイト「change.org」から)
その実情はどうなのか。香川県の高校教育課を取材したところ、「平日は学校行事扱いとなることが多く、その場合は休んだら欠席扱いになる。土日に関しては、自分の部活動を優先したい場合などは担任に申し出る必要がある」と回答。50円程度だが生徒の金銭的な負担も発生するなど、高校生の訴え通り野球部の応援は強制的な面があるようだ。
しかし、参加することで連帯感を強め、母校への愛着を育むことができるなど一定の教育効果が期待されるとしている。SNS上では「一体感のある応援が楽しい思い出になった」という投稿の一方で、「他の部活にそういうのないし、野球部はどこの応援にも行かない」「吹奏楽部が強制的に駆り出される習慣は見直して欲しい」などと強制参加を疑問視する声も上がっている。
そもそも、なぜ野球部の応援が重視される傾向があるのか。その目的や学校側の事情について、長年学校の部活動について研究する早稲田大学の中澤篤史教授に聞いた。
「期待される教育効果として、応援を通じて学校の一体感を育んだり、生徒同士が励ましあうようなより良い人間関係を作ったりすることはよく言われる。それが形式化されて“応援しなければいけない”と強制されてしまうと、教育効果が得られるのか疑問に感じる」
「歴史的な背景から言うと、高校野球は戦前の旧制中学校時代の全国大会が始まって今に続くため、非常に歴史がある。他競技に先駆けて学校文化に深く根付いていったような競技であることは確か。そういう言い出しづらい空気を呼んでしまう同調圧力の問題があったのだと思う。それは生徒だけではなくて、教員の中にも『野球だけ毎年応援するっておかしいんじゃないかな』と考えている先生がいたと思う。なかなかそうしたことを職員会議で発言できない。“今までそうだったんだから”ということで続いてきてしまった問題もある」(早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学部・中澤篤史教授)
中澤教授は、応援することは非常に尊いことであるため「そうした感情が自然に出てくるようなあり方が望ましい」と話す。
「学校側・先生側・教育委員会側も『あれ、何か悪いことしてたんだっけ?』と戸惑っているところもあると思う。しかし、今一度応援することの価値は損なわないまでも、あり方を再確認するような機会になればいい。『だから野球応援をしちゃダメだ』ということになると、それはそれでおかしな話。教育活動として(野球応援を)生徒に提供しようとするときに、嫌に思ったり疑問に思ったりする生徒はいないだろうか。そこをむしろ対話のチャンスとして、学校全体でどういうふうに生徒を育んでいくかを広い視野から考えてほしい」
このニュースについて、元競泳選手でスポーツジャーナリストの松田丈志氏は「強制して(野球応援を)やるのは違う。自然発生的に生まれてくるのがベストな状況」だと主張した。
選手の立場からすると、応援されるのは当然嬉しいことなのだろうか。元アスリートの松田氏は当時を振り返り、こう話す。
「(応援されるのは)嬉しいし、力が入る。僕も現役のときは地元の皆さんにも応援してもらって、大会後に帰るとたくさんの人が集まってくれた。自分の経験からも、そういう応援はトレーニングを頑張るモチベーションになる。学校のルールは関係なく、みんなが応援に来てくれるような野球部を作ってもらいたい」
高校野球の「強制応援」問題に限らず、教育業界でも部活動のあり方を考え直す時期に来ているのかもしれない。松田氏は「まさにいま、変革のときを迎えている」と言い、持論を展開した。
「日本のスポーツは学校の体育に支えられてこれまで長くやってきたが、特に中学校では学校の部活をどんどん民間に委託していく流れがある。先生も部活動があることで就業時間が長くなってしまう問題があるから、今後は学校からスポーツを切り離した状態でも子どもたちがスポーツを学べる場所を作っていかなきゃいけない」
(『ABEMAヒルズ』より)
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