栃木県・宇都宮動物園で11月2日、虎が脱走したときを想定した捕獲訓練が3年ぶりに行われた。猛獣が脱走すると「この園だけでの問題ではなくなってしまう」と園長は語るが、もし本当に虎が逃げ出してしまったら、どうなってしまうのだろう。43年前に千葉県君津市で起きた「神野寺虎脱走騒動」について、当時の関係者の証言をまじえて振り返った。
1979年8月2日、神野寺(じんやじ)で飼われていた虎が逃げ出した。寺の境内には当時、十二支の動物などを飼育する動物園が併設されていた。虎は12頭飼われていたが、そのうち子虎3頭が檻から脱走。逃げ出した虎たち(1歳)は、体長約150センチメートル、体重90キログラム以上。1頭はその日に帰ってきたが、オスとメスの2頭が行方不明になってしまった。当時の千葉日報の報道によると、翌日の3日は夏休み中とあって、観光客や部活動の学生など、400人が滞在するなか、80世帯・約300人に外出禁止令が出された。近隣の「マザー牧場」で行われる予定だったロックフェスが中止になるなどの影響も。それから26日間にわたり、警察や猟友会、消防団ら、のべ約8000人が動員された。
現場となった君津市鹿野山地区は、現在約20世帯が住んでいる。神野寺の門前に店を構える食堂の店主は、当時を「すごい人(の数)だった」と振り返る。ここはマスコミの待機所として使われ、電話やファクス、食事の提供も行っていたが、「ドライブイン虎騒動で大もうけ」といった非難も受けたという。消防団員だった近隣住民は、ナタや鎌しか武器がなく、「実際会っちゃったら終わり。不安は不安」だったと語る。猟友会として参加した平嶌一良さん(当時27)は「万が一こっちに来たらどうしようかなと、常に考えていた」そうだ。千葉県警の機動隊だった高橋さん(仮名、当時31)は、寺で親の虎を見て「こんなの山の中で会ったら、撃てねえな」と思ったと証言する。
事件から2日後の8月4日、猟友会のメンバーが、寺近くの茂みでメス1頭を発見して射殺した。平嶌さんの親は当時、君津猟友会の会長をしていたため、「寝てられないほど、電話の攻勢があった。封筒の中に薄刃(カミソリの刃)が入っていたのが1通、2通じゃなかった」と、激しい抗議があったと明かす。やぶが多く捕獲困難で、麻酔銃が効くまで時間がかかることもあり、「人命第一」の判断で射殺したが、猟友会メンバーには「虎を殺すのはかわいそう」「射殺ではなく眠らせるべきだ」といった声が押し寄せた。当時の神野寺住職も「生け捕りにできたのをどうして殺してしまったのか」と発言し、それに激怒した猟友会メンバーの多くは撤退していった。
その後、エサのニワトリに睡眠薬を混ぜ込んでみるも、不発に終わる。民家の飼い犬が、虎に襲われて死亡してしまう惨事も起き、千葉県警は射撃技術が高いメンバーを選抜。ようやく8月28日、寺から約4キロメートル離れた山中で、2頭目の虎を発見し射殺した。
「虎との距離は5〜6メートル。(1発目は)右肩の付け根を撃って、ひっくり返った。倒れたところで2発目を右の耳の後ろから狙っていって、3発目は正面向いて眉間を撃ってトドメを刺した。警察官としての使命感があったから、向かって行ったじゃないか。冷静になってないと撃てない」(高橋さん)
この脱走騒動を機に、政府は危険動物飼育・保管の規制を強化し、自治体でも条例の制定が進められ、「動物と人間の命をどう守るのか」も議論された。冒頭のような捕獲訓練も行われているが——。
「訓練に越したことはないと思うけど、実際に逃げたら、これはできない。麻酔銃で撃ちました、でも即効くわけじゃない。人間(が虎役)だから倒れてくれるけれども……」(高橋さん)
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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