WBO世界ミニマム級チャンピオンの谷口将隆が6日、エディオンアリーナ大阪第1競技場で2度目の防衛戦に臨み、同級2位のメルビン・ジェルサエム(フィリピン)に2回1分4秒TKO負けで王座から陥落した。
一瞬の気の緩み、気の迷いが命取りになるのがボクシングだ。あらためてそう感じさせる谷口の王座陥落だった。ジェルサエムが怖い相手だというのは分かっていた。それでも技巧派サウスポーの谷口がジェルサエムの強打を空転させ、判定勝ちを収めるのではないか、という見方が試合前は強かった。そして試合が始まるとなおさら「チャンピオンの防衛は固い」というムードは高まった。
「1ラウンドが終わって“いける”と思った自分がいた。それが油断じゃないですけどスキができたと思う」
谷口は試合後、ノックアウト負けによりまだ意識がはっきりしない中で記憶をたどった。言葉通り、立ち上がりは自分のボクシングができていた。ていねいにポジションを移動しながら、ジェルサエムのパンチを滑らかなフットワークと上体の動きで外した。ラウンド終了間際には左ストレートを鋭くボディに打ち込んだ。試合後、ジェルサエムが「あのボディブローは効いた」と振り返った一撃だった。
ひょっとするとジェルサエムの静かな立ち上がりが劇的な結末の伏線になったのかもしれない。もし、挑戦者がフィリピン人ボクサーのイメージ通りブンブンと強打を振り回してきたら、谷口の警戒心はより高まっていただろう。しかし、チャレンジャーは慎重だった。あまり攻撃的にはならず、チャンピオンの様子をうかがっていたのだ。
そうして迎えたのが2回のクライマックスだった。ジェルサエムがワンツーを放つと、これがカウンターとなって谷口の顔面にジャストタイミングで爆発する。背中から転がるようにキャンバスに倒れた谷口は立ち上がろうとしたものの、脚はまったく言うことを効かず、あえなくTKO負けとなってしまったのである。
「警戒していたのが右アッパー、右ストレート、左フック。その右ストレートを見事にもらってしまった。想像以上だった」
ダウンシーンでもし慌てず、カウントをよく聞いてゆっくり立ち上がっていれば、立て直せたかもしれない。そう口にしたのはイベント後に取材に応じた亀田興毅ファウンダーだった。
記者から「倒れたときの準備をしていたか」と問われた谷口は「ああいう倒れ方をするとは思わなかった。石澤選手とやったときにダウンして、あれが一番効いたと思っていた」と答えた。
もともとディフェンスがいい谷口がプロで喫したダウンは19年1月、石澤開との日本タイトル挑戦者決定戦で喫した1度のみ。このときはダウン後、相手を空転させるマタドールぶりを取り戻してその他のラウンドをほとんど押さえて判定勝ちを収めた。今回のような甚大なダメージのダウンは初めてで、「自分の認識が甘かった」とうなだれるしかなかった。
どんな偉大なチャンピオンでもミスはあるし、KO負けでベルトを失ったレジェンドも過去にはたくさんいる。とはいえこれほどショッキングな負け方はそうそうない。心に大きな痛手を負ったサウスポーの再起ロードはおそらく厳しいものになるだろう。
それでも谷口の苦労を重ねたキャリアを振り返れば、文字通り“再び起きる”ことは可能だと思えてくる。大阪の龍谷大からプロ入りし、大きな期待を背負いながら、日本タイトル、東洋太平洋タイトルの獲得を逃し、初めての世界挑戦にも失敗した。同時期に同じワタナベジムからプロ入りした大阪商業大出身の京口紘人がトントン拍子で世界チャンピオンになったのとはあまりに対照的だった。
手痛い敗戦にも腐らずに努力を続け、日本チャンピオンとなり、21年12月にプエルトリコのウィルフレド・メンデスを下して悲願の世界タイトルを獲得した。このときは「何が何でも勝ちたい」という思いから、日常生活からプラスの流れを作ろうと心がけ、倒れている自転車を起こしたり、ゴミを見つければ拾って捨てたりまでした。負けてもくじけずに這い上がる。それが谷口のボクシング人生だった。
この試合が終わった時点で28歳。本人がどう判断するかは分からないが、「もうやり切った」という心境にはならないのではないか。その才能はまだ十分に開花していない。しっかりと休養をとり、新たなボクシング人生を切り開くことに期待したい。
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