通常国会が招集された1月23日朝6時、千葉県のJR津田沼駅にスーツ姿の男性が現れた。気温3度、小雨が降るなか、自作の「かわら版」2400部を有権者に手渡ししているのは、元総理の野田佳彦衆議院議員(立憲民主党最高顧問)。この日は3時間後の朝9時に終了。素通りする人もいるなか、1人で37年間続けているという。
「体調悪い時とか、前日飲み過ぎたりとか、いろいろ葛藤はある。ツラいなと思いながら立っている。師匠だった松下幸之助さんに『どうしたらいいでしょうか?』と聞いたら、『ワシだったら、人がいっぱいいる前で皿回しをやる。みんなが足止まったらしゃべり出す』と。とはいえ、技術がいる皿回しはできないので、毎朝街頭に立つようになった」(野田氏)
ビラ配りを「顔が見える世論調査」と話す野田氏は、1957年千葉県生まれ。早稲田大学を卒業し、読売新聞やNHKの内定を得ていたが、それらを辞退して、松下電器(現在のパナソニック)創業者の松下幸之助氏が立ち上げた「松下政経塾」1期生に。寮での集団生活を通して、リーダーに求められる能力を叩き込まれた。
1993年の衆議院議員選挙で初当選し、36歳で国政へ。そして2011年、民主党政権で3人目となる、第95代内閣総理大臣に就任した。東日本大震災や消費増税、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、尖閣諸島、議員定数削減などの重要課題と向き合いながら、2012年11月に自民党・安倍晋三総裁(当時)との党首討論で、議員の定数・歳費削減と引き替えに衆議院解散を明言。直後の総選挙で、民主党は歴史的惨敗となり、野田氏は代表を引責辞任した。
あれから約10年、銃弾に倒れた安倍氏への追悼演説を機に、ふたたび野田氏が注目されている。1月29日の『ABEMA的ニュースショー』では、元日本テレビ解説委員でジャーナリストの青山和弘氏が、取材から得た「野田氏への待望論」について、直接本人に聞いた。
立憲民主党は現在、リベラル支持層に加えて、中道や保守層に訴求できていない点が、政権奪還への課題になっているという。その点、追悼演説で与党支持者からも評価されている野田氏への期待が高まっていると、青山氏は解説する。
立憲・泉健太代表について、野田氏は「一生懸命支えている。頑張って欲しいと思うし、伸びしろがある人。育てていきたい」と語るが、青山氏の取材では、党内には泉氏の影が薄いとして、野田氏のような重厚感や包容力のあるリーダーを求める声もあるようだ。
民主党政権時代は鳩山由紀夫氏、菅直人氏、野田氏が総理になったが、安倍氏は生前、「野田さんが民主党最初の総理だったら、自民党はヤバかった」(青山氏の取材メモより)と語っていたという。集団的自衛権の行使容認の検討や観光立国、武器輸出の緩和、TPPなど、第2次安倍政権の礎は、実は野田政権時代につくられていたと、青山氏は指摘する。
野田氏はTPPをめぐるエピソードを振り返る。当時、自民党はTPP交渉参加に大反対していた。2012年12月の解散総選挙でも争点のひとつになったが、選挙期間中に野田氏のもとへ、自民党の麻生太郎氏から電話がかかってきたという。
「(麻生氏は)『“交渉参加に向けて協議に入る”じゃなくて、もう“参加する”と、今のうち決断してくれないか』と言う。じゃあ選挙中、我々(民主党)が決断したら、賛成してくれるかを聞くと、『いや、反対するけどさ。どうせ政権は我々(自民党)が取るから、今のうちやっといてくれないか』と。政策的に被っていても、評判の悪いことは誰かにやらせちゃおう、というのはあったのだろう」(野田氏)
このところ、岸田内閣の支持率は低下しているものの、立憲は横ばい。1月21日・22日のANN世論調査では、9.8%の政党支持率だった。「2ケタに上がって、ようやく存在感が出る」と語る野田氏だが、「(自公連立の)一強を作っているのは多弱の野党」だとして、野党全体の支持率底上げが必要だと指摘。その中での待望論について、実際のところはどう感じているのか。
「(期待が)集まってるなどはない。血迷っちゃいけない。代表や総理は狙ってなれるものではなく、『引き寄せられる』。自分から無理してたどり着こうとしても、ろくな事がない。私の時に大敗して、それから盛り返せていない。もう一回、政権交代をする道筋を作るのが私の役割。これをやらなければ、死んでも死にきれない」(野田氏)
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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