初当選以降、一度も国会に出席せず「議場での陳謝」の懲罰にも応じず、帰国しなかったガーシー議員。そのことを一番残念がっていたのは、鈴木宗男参議院議員だという。
【映像】なぜ鈴木宗男議員は「信じてしまった」のか?(動画あり)
鈴木議員と言えば、ガーシー議員を巡る問題を処罰する懲罰委員長。なぜ残念がっていたのか、その一部始終を取材した政治ジャーナリストの青山和弘氏が解説する。
「1秒でも遅刻したら除名だ」「陳謝の文章を少しでも読み間違えたり、違うことを言ったら除名だ」
3月7日、陳謝日の前日、鈴木議員はあらゆる想定をして、ガーシー議員を待ち受けていたという。
以前から鈴木議員とガーシー議員は火花を散らしていた。
「(ガーシー議員には)自分の置かれている立場を十分頭に入れて行動いただきたいものだ」(鈴木議員)
「俺を辞めさせられるのはムネオハウスやなく、オレに票を入れてくれた有権者だけやと!」(ガーシー議員)
ガーシー議員とは距離を置きたがる議員が多い中、鈴木議員は全く動じず、懲罰に突き進んでいたという。
「ギリギリで帰国できる可能性があるフライトを調べさせるなど、最後までガーシー議員はくると信じていた」(青山氏)
なぜ来ると信じていたのか?
「それは鈴木議員が国会議員であることの重みを一番知っているからだと思う」(青山氏)
鈴木議員は1983年に初当選し、49歳の時に初入閣を果たした。しかし2002年、国後島の日本人とロシア人の友好の家、通称「ムネオハウス」建設などで数々の疑惑が浮上。北海道の林業会社から賄賂を受け取ったとして逮捕・起訴。懲役2年の実刑判決がくだり、刑期満了後は5年間の公民権停止、つまり選挙にも出られなくなった。
さらにこの間、胃がんなど三度の手術を経験した。
しかし公民権が復活した後、「やり残したことがある」として、2019年に日本維新の会から参議院選挙に出馬し当選。不死鳥のように政界に返り咲いた。
「9年間政治から遠ざかっており、その間、誰からも注目されなかった。つまり、議員バッジの重みを誰よりも知っている鈴木議員だからこそ、ガーシー議員が陳謝に来ると信じて疑わなかった。しかし、バッジへの思い入れはガーシー議員と鈴木委員では全く違ったということでしょう」(青山氏)
結局、ガーシー議員は帰国せず、
「俺も人がよかったな」
と鈴木議員はつぶやいていたという。
(『ABEMA的ニュースショーより』)
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