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 2月21日の東京ドームにおける武藤敬司引退後の初のビッグマッチとなった3月19日の横浜武道館は“方舟”プロレスリング・ノアの今後の航路を占う大会。ましてや、武藤引退の日にGHCヘビー級王者の清宮海斗が新日本プロレスのIWGP世界ヘビー級王者オカダ・カズチカに敗れているだけに注目度が高いのは当然だろう。

 その清宮に「お前がベルトを持っていても、これ以上、何も生まれない。俺が新しいビジネスモデルになって、もっともっとノアを潤わせてやる」「お前がやっていることを否定しているわけじゃない。ただ、今のお前にベルトは重荷なんだよ。だから俺は“俺を観に来い”とは言わない。ノアを観に来い」と迫り、この新生ノアのスタートの日に挑戦権を掴んだのがジェイク・リー。

 ジェイクは全日本プロレスで19年の『王道トーナメント』、21年の『チャンピオン・カーニバル』に優勝し、三冠ヘビー級王座を2度戴冠しながら、昨年12月末をもって全日本プロレスを退団。「一度きりの人生、いろいろな選手とレスリングがしたい」と、新たな戦場としたのがノアだ。ノアは三沢光晴が「自由と信念」を旗印に全日本から独立して2000年8月に旗揚げした団体だが、ジェイクも自由を求め、さらなる高みを目指してノアにやってきた。ジェイクにとってGHCヘビー級王座は自由の象徴なのだ。

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三沢に憧れてノアに入門し、武藤敬司の遺伝子をも受け継いだ清宮とジェイクの大一番は、いわゆる“ノアのプロレス”とは趣を異にした試合になった。ノアのプロレスはスピーディーで、多彩なテクニックの攻防が繰り広げられるというイメージだが、全日本育ちのジェイクは192センチ、110キロの大きな体を生かした大きなプロレス…相手のスピードに左右されない独特の間合いの戦い方をする。またジェイクはベースに総合格闘技があるだけに見た目と違ってサブミッションの攻防も得意としている。

 果たして試合はグラウンドの攻防からスタート。小川良成に学び、武藤ともグラウンドで互角に渡り合った清宮もこうした戦いは嫌いではないが、身長で12センチ、体重でも12キロ優るジェイクが優勢。ジェイクのダブルリストロック投げからのアームバーを何とかヘッドロックに切り返し、フライングメイヤーから執拗に締め上げた清宮だが、ジャンボ鶴田式のバックドロップで叩きつけられて、思わず場外にエスケープ。

 序盤の大技はこのバックドロップぐらいで、試合はベーシックな技で紡がれていった。15分前にはジェイクが実に8回も押さえ込みへ。全日本ではジャイアント馬場の時代から押さえ込み方、その返し方も反復練習させられる。地味に見えても、これで清宮のスタミナはかなり消耗させられた。

 清宮が弾けたのは25分過ぎだ。ジェイクの必殺技D4Cをこらえ、ラリアットをかわしてクロスボディアタックを決め、コーナーから反転してのブーメラン・フォアアーム、ミサイルキックで反撃開始。場外のジェイクにトップロープ越えのウルトラ・タイガー・ドロップ、ジャーマン・スープレックス、ジャンピング・ニーと畳みかけた。カウンターの膝を食らってカウント7のダウンを喫してヒヤリとさせられる場面もあったが、ドクターボムをカウント2で跳ねると、回転足折り固め、ドラゴン・スクリュー、シャイニング・ウィザードと躍動する。

 しかしジェイクは清宮を徹底的に研究していた。清宮は変型シャイニング・ウィザードで勝負に出たものの、これをキャッチしたジェイクはラストライドの体勢へ。清宮は何とか後方に着地したが、ジェイクはすかさず膝をぶち込むと、串刺し式のフロント・ハイキックをズバリ! 35分26秒、熱戦を制したのはジェイク。終わってみれば、ジェイクにコントロールされていた試合だったと言ってもいい。

 こうしてノア参戦わずか11戦目にして頂きに立ったジェイクに待ったをかけたのは中嶋勝彦だ。「本物のノアを見せてやる。俺がノアだ」と宣戦布告したのである。

それでもジェイクは動じることなく「一番戦いたかった相手だ。今日から俺がノアの舵を取る」と高らかに宣言。この日、ジュニアヘビー級のYO-HEY、タダスケがジェイクのユニットGLG(グッド・ルッキング・ガイズ)に加入したことでマッチメイク的にも幅が広がった。気付けば、ノアはジェイクの色に染められつつあるのだ。

文/小佐野景浩

写真/プロレスリング・ノア

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