「田んぼの持ち主様へ。カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。騒音対策のご対応お願いします」。
Twitterに投稿されたある訴え。投稿者がたまたま落ちていた紙を見つけたもので、「世知辛い」というコメントとともにアップすると、「対策しろってどうやって?」「あれを騒音と思ったことは一度もない」「うるさいと感じる人がいる事も考えるべき」などと議論の的になった。
フランスでは、近隣住宅のニワトリがうるさいと訴えを起こすも、「鳴き声は騒音に当たらない」と原告が支払いを命じられた例も。どこまでが自然の音で、どこからが騒音なのか。また、少数の苦情にどこまで答えるべきなのか。『ABEMA Prime』で考えた。
■ムクドリがうるさい→鷹匠を呼ぶ
都市政策が専門の北九州市立大学地域戦略研究所の南博教授は「他人にとっては思いもよらない音や光が大きなストレスとなる人もいる。しかし、カエルの鳴き声というのは、その土地の所有者が故意に発生させているものではない。行政や町内会による対処も難しいだろう」と指摘。
前明石市長の泉房穂氏は「音は人によって感じ方が全然違う。明石市でもムクドリがうるさいという苦情が殺到し、市長として動かざる得なくなって、天敵である鷹を連れてきて追い払ったことがある。とはいえ、それも税金を使うことなので、限度が難しい」と振り返る。
パックンは「音のハザードマップを作って、不動産購入の前に確認できたらいい」と提案。「僕は今都会に住んでいて、救急車のサイレンはあるが、アメリカに比べてすごく静かだ。日本は音に恵まれているからこそ過敏になっているんじゃないか。音にうるさく言う人が近所にいると、楽器の練習ができないとか、子どもが外で遊べないとか、保育園を建てられないとか。音に対する1人の感じ方が周りの方々の権利を制限しているのを日本でよく聞くので、ちょっともったいないなと思う」と述べた。
長野市では、地元からの要望で開設した公園が、近隣住民1世帯の苦情によって廃止・閉鎖したケースもある。
泉氏は「この件以降、明石市にも『公園のボール遊びの声がうるさい』など、同じような苦情が届いたが、遊ぶ時間を短くするなどルールを整備して、折り合いをつけた。また、図書館で子どもが泣き叫んでもいいように、あえて『音がする図書館』というコンセプトを掲げて、コンサートを開いた事例もある。そういう前提を作ることで、怒られたとしても『すみません。うちの図書館は音がしますから』と答えるかたちにできた」と説明。明石市は街全体を「子どもの街」と打ち出したことも、住民の意識変革につながったという。
■少数派の声も重要
「声の大きな少数派」という意味の「ノイジーマイノリティー」という言葉もある。これをどう捉えるべきなのか。
南氏は「ちょっとした指摘の中から大きな問題点が見つかるケースもあるので、一概に意見を切り捨てるべきではない。少数意見にも丁寧に耳を傾けて共に解決方法を模索していくことが行政や組織に求められる」と述べる。
手話言語・障害者コミュニケーション条例や障害者配慮条例など、マイノリティーの声を市政に反映してきた泉氏は「政治行政は光の当たらないところを照らすもので、少数者の声にしっかり対応していくのが仕事だと思っている。はじめから切り捨てず、まずは聞いてみて、それから調整可能かどうかを考える。明石市では、市民から大量に意見が届く仕組みを作り、その声を広報に載せて反応を見て、同じことを思う人がどれだけいるかを確認しながら対策を決める。ムクドリの件も、最初は『えっ?ムクドリの声?』と思ったけれど、実際現地に行ったら本当にうるさかった。少数の声をオープンに出し、それに対する議論を見ながら対応することが必要だ」と答えた。
(『ABEMA Prime』より)
■Pick Up
・「ABEMA NEWSチャンネル」がアジアで評価された理由
・ネットニュース界で話題「ABEMA NEWSチャンネル」番組制作の裏側