いよいよ今週末、24日(土)に武尊の復帰戦が行われる。昨年6月19日、『THE MATCH 2022』東京ドーム大会での那須川天心戦以来の試合だ。
今回は初の海外遠征。フランス・パリで開催される『Impact in Paris』でベイリー・サグデンと対戦する。試合はISKA世界王座決定戦となる(K-1ルール、61kg)。
すでにK-1との契約を円満に終えている武尊は、復帰にあたってABEMAと新たに契約。それはABEMAの専属PPVファイターとして活動していくというもので、ファイトマネー以外に最低補償額1億円が支払われる。
さまざまな面で“新生・武尊”となる再出発だ。だが、この復帰戦はあくまで過去の闘いと地続き。『THE MATCH 2022』での那須川戦と今回の試合は物語としてつながっている。
1年前の那須川戦、武尊はダウンを奪われ判定負けを喫した。試合後は号泣。この試合について、武尊は「一度死んだ」とまで言った。彼は常に負けたら最後、負けたら引退だと思って闘ってきたのだ。
新人時代、初めて(K-1・Krushで唯一の)敗戦を喫した時のこと。自分の周りから人が離れていくのを感じた。「応援するよ」と言ってくれても、それは勝っている限りでしかないのだと。
だから那須川に負けて、自分の格闘技人生はここで終わりだと思った。ところが、リングを降りた彼に観客からかけられたのは「ありがとう」という言葉だった。予想外の言葉が、格闘技への思いをつなげることにもなった。
記者会見でケガの治療が必要なこと、うつ病とパニック障害で通院してきたことも語り、休養期間へ。ただ試合の予定がない間も練習は続けていた。武尊にとっては格闘技が何よりの楽しみ、癒しなのだ。
今回の復帰、フランス遠征は、那須川戦の負けの延長線上にある。那須川に負けたからこそ「次は勝つ姿を見せたい」という気持ちが燃え上がった。海外で闘うことは、自分の新たな可能性を見出すためでもある。
かつて、兄貴分である卜部弘嵩・功也兄弟のフランス遠征に帯同したことがある武尊。最終調整も日本と同じようにはいかないし、観客も相手側を応援する。そういう“敵地”で勝つことの大変さと価値を感じた。それは自分にとって未経験、かつチャレンジしがいのあるテーマでもあった。「自分を知らない人たちも武尊ファンにしたい」と彼は言う。
K-1で3階級制覇を達成した武尊が、今さらISKAのベルトを狙うことにどれだけの意味があるのか。そう疑問に思う人もいるだろう。実際には、ISKAのチャンピオンになることが最大の目的ではない。フランスという敵地で、ベルトをかけた試合、つまりより勝負論が重い試合でどう闘い、どう勝つか。そのチャレンジがサグデン戦なのだ。
この試合のPPVで1億円分稼げるのか、という問いかけも誤解がある。1試合1億円というのは「毎回確実に1億円以上稼ぐ」という意味ではない。この金額は、これまでの武尊の活躍に対しての評価でもあるし、格闘技界の若い選手たちに夢を提供するためのものでもある。ビジネス的な計算によるものではなく「格闘技にもこれだけの夢がある」と提示するための1億円だ。武尊は言う。
「海外のようにアスリートがもっと評価されて、対価を得る世界になっていくのかなと。(今回の契約は)いま頑張っている選手、これからプロを目指す選手にとって未来につながる契約になると思います。モデル(ケース)としてもっと活躍して、いい結果を残していきたい」
あるいは、武尊がチャレンジを続けること自体に1億円の価値があると言ってもいい。武尊はONEとの契約を発表、また7代目タイガーマスクを襲名してチャリティー活動に取り組むという会見もあった。どんどん前に進む。武尊が何かをすることで格闘技が話題になる。そうすることが自分の役目なのだと、彼自身よく分かってもいる。
挑戦することで業界を変える。武尊がやってきたのは常に同じだと言ってもいい。武尊がプロデビューした頃、子供時代に憧れたK-1が活動しなくなった。日本における立ち技メジャーイベントがなくなったのだ。武尊たち新世代は自力で新たな舞台を作っていくしかなかった。それがKrushであり、新生K-1だった。
「有名になりたい」
「SPをつけないと街を歩けないくらいでいい」
若い頃から、武尊はそう言っていた。そのために派手な、誰にでも分かりやすい迫力のある勝ち方を自分に課してきた。テレビなどメディアへの登場も、Krushや新生K-1を広めたいという気持ちからだ。武尊の故郷は鳥取。人々は地元志向が強く、スポーツや芸能で夢を追うというムードもあまりないのだと言っていた。地元の若者、子供たちに夢をかなえる姿を見せることも、武尊のモチベーションだった。
武尊の活躍もあって、新生K-1は旧K-1とは違う軽量級中心の新たなメジャーイベントとして成功を収めた。武尊は日本で最も有名な格闘家の1人になった。だが、そこで満足をしないのが武尊だった。
長い間ファンから求められてきた那須川天心戦に向けて動いた時、彼は「中立の舞台」での実現をアピールした。K-1でもRISEでもRIZINでもなく、どの団体の選手にとっても公平な舞台。団体の垣根に関係なく、格闘技の素晴らしさを世間に届けるための大会。
武尊の主張を現実のものとすべく、関係者が動いて開催されたのが、東京ドームを満員にした『THE MATCH 2022』。メインの那須川vs武尊を筆頭に、立ち技オールスターと言える対戦カードが並んだ。ここでも武尊は、業界のあり方を変えたのだ。
そして今回のフランス遠征、『Impact in Paris』には、大雅と白鳥大珠も参戦する。2人とも武尊と対戦経験がある(白鳥はアマチュア時代に対戦)。大雅はK-1を離脱してRIZINなどに出場してきた選手。白鳥はRISEのトップファイターだ。武尊は公開練習のスパーリングパートナーにK-1ファイターの晃貴を呼ぶなと、K-1との関係も良好。その一方で“非K-1”の選手たちとフランスに乗り込む。
今年、『THE MATCH 2022』がきっかけとなってK-1、RISEそれぞれのリングで対抗戦が行われていることも重要だ。武尊の行動は格闘技界の壁を崩してみせた。大雅、白鳥のフランス遠征参戦は、武尊の「日本格闘技を世界にアピールしたい」という気持ちから始まっている。ONEでは武尊vsロッタン戦が期待されているが、武尊としてはそこでも自分のことだけで終わらせるつもりはない。
ロッタン戦とともにONEの日本大会も噂されているが、武尊はそこでONEと契約している世界トップの立ち技ファイターと“日本代表”選手たちの闘いができればと考えているのだ。ここでもまた、壁を崩そうというのである。
武尊は常に業界を動かし、変え続けてきた。それは今も同じだ。1億円ファイターになってもK-1を抜けても、武尊は武尊であり続けている。だからこのフランス遠征も楽しみなのだ。
ファイトスタイルも変わらないだろう。誰が相手でも前に出る、打ち合う、倒しにいく。いや、変化ということで言えば、このファイトスタイルがさらに磨かれている可能性はあるだろう。
那須川戦後、無期限の休業に入ってすぐのことだ。筆者がインタビューした際、武尊は闘い方についても語ってくれた。曰く、これまでも打ち合ってきたが、やはり「負けない」ことも意識していた。だがこれからはそうではなくなる。自分がやりたい闘いを突き詰めて、もっとリスクを背負った闘いができる気がする……。
これまでも「正気か?」と思うほどリスク度外視の打ち合いをしてきたはずだ。自分でも「頭のネジが外れてる」と言っていた。だがそれ以上にリスキーで激しい闘いができるというのだ。公開練習では「格闘技が楽しい」とも。
「以前は負けることへの恐怖から練習を頑張ってました。恐怖との闘いで。でも今は格闘技を楽しいと思ってやってます。“負けたくない”ではなく“勝ちたい”という気持ちです。前は“負けることは死”と思ってたんですけど、負けてからも応援してくれる人たちがいて、いま現役を続けている。プラスな感情でできています」
変わらない武尊の、唯一にして最大の変化。それは“より武尊らしさを増した”という部分だ。闘う場所がどこであろうと、見逃すわけにはいかない。
文/橋本宗洋