黙秘すると保釈されず、黙秘しないと無罪とならない「人質司法」。大川原化工機の元顧問・相嶋静夫さんは、その犠牲者だ。
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相嶋さんが顧問を務めていた大川原化工機は、警視庁公安部から「生物兵器が製造可能な機械を輸出している」との嫌疑をかけられ、大川原正明社長や相嶋さんら3人が、外為法違反の容疑で逮捕された。後に冤罪と判明するものの、相嶋さんは起訴取り消しの半年前、72歳で「被告」として亡くなった。
相嶋さんは幼い頃から、ものづくりや実験好きの技術者気質だった。大学の工学部を卒業後、当時社会問題になっていた公害をなくしたいと、大企業ではなく空気中の風じんを除去するメーカーに入社した。その後、大川原化工機に移籍し、専務や関連会社社長、そして顧問として技術部門を率いてきた。
大川原社長は「納得しなかったらやらない性格。安全に関することだけは、非常に厳しく言っていた」と、人となりを振り返る。同社粉体技術研究所の伊藤幸雄部長も、技術的なアドバイスから、新入社員の教育まで、「わからないことを聞けば、すべて教えてくれる」。おかしいと言ったら、夜までかかっても解明する性格で、「知識に関しては私が会った中で一番」だと語った。