男女の垣根を超えた“七色の歌声”とその甘いマスクで、ものまね番組を席巻してきた「ものまね界のプリンス」青木隆治(43)が、ものまねをやめようと考えていた過去を告白した。
5月10日、去年から行っている全国ツアーのため、大阪の岸和田に姿を見せた青木。今回のツアーのタイトルは「25th Anniversary LIVE ひとりモノマネ紅白歌合戦」。男性アーティスト、女性アーティストが交互に歌唱する紅白さながらのステージを青木が、衣装の早着替えをしながら1人で行う。
2024年は、5月の大阪公演を皮切りに12月まで毎月 全国各地に飛び回りライブを開催。25周年にちなみ25人のアーティストものまねを披露する。かなりハードに思われるステージだが、青木本人は「好きだからしんどいとか思わないです。1ステージ終わったらもう1回やりたくなっちゃいます」と、余裕の表情。
そんな青木は2005年に、「ものまねバトル」に初出演して以来、番組の常連に。2010年、念願のメジャーデビューを果たし、自身の楽曲もリリースした。ものまねとアーティスト、2足の草鞋での芸能活動は多忙を極め、一時は「ものまね」をやめることを考えたそうだが、それに待ったをかけたのが志村けんさんだった。
「すごくフィーチャーしていただいたときに、もうひばりさんをやり尽くして。何人メドレーっていうのもやり尽くしている中で、僕は(ブームが)2年で終わると思ってたので、じゃあここで自分がやりたいことに振り切っていこう、番組に出ることを1回休止したんです。モノマネの仕事も受けなくなった。その時にちょうど志村けんさんと出会っているんです」
「志村さんが飲みに連れていってくださったんです。その時に言われたのが『青木くん、ひばりさんを、(色々な人に)やってと言われて、番組にも呼ばれてやって。いろんな全国各地でやって飽きたでしょ』と言われて、『ダメよやり続けないとダメだからね』と言われた。『俺がなんでバカ殿をやり続けているか、変なおじさんをやり続けているか、これだけやってもまだ知らない人いんだよ。むしろ志村けんという存在ですら知らない人がいっぱいいるんだよ。だから俺もずっと同じことやっているんだ。だから続けなさい』と言われたんです。翌年『ものまねグランプリ』に復帰しました。志村さんの言葉がなかったら本当に分からなかったですね。もしかしたら戻ってなかったかもしれないです」
志村さんの金言に今も支えられていると、青木は明かしていた。
(『ABEMA NEWS』より)
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