【写真・画像】港区女子の“その後”とは? 元カントリー娘。斎藤みうな「最近はどのパーティーに行ってもブレイキングダウンの人がいる」 きらびやかな街の内実は 1枚目
【映像】元カントリー娘。斎藤みうなさんの“港区女子”時代
この記事の写真をみる(3枚)

 お金持ちの集まる六本木や西麻布、赤坂などで夜な夜なきらびやかな日々を過ごす「港区女子」と呼ばれる人々がいる。ここ10年で注目され、憧れる女性もいる一方で、ネットでは「金銭感覚がバグってそう」「高飛車」「年を取ったら市場価値がなくなる」といった反応もある。

【映像】元カントリー娘。斎藤みうなさんの“港区女子”時代

 元港区女子のモモさん(30代)は、かつて10万円のおこづかいをもらった経験もあるが、「30歳近くなってきて雑な扱いをされるようになり、嫌気がさした」と引退し、現在は地方で専業主婦をしている。その一方で、港区女子として培った経験と人脈をビジネスに生かす人もいる。『ABEMA Prime』では、そんな人物に話を聞いた。

 斎藤みうなさん(37)は、港区女子として築いた人脈を活用して、オンラインサロンビジネスを展開している。アイドルグループ「カントリー娘。」の元メンバーでもあり、「静岡出身で、16歳で芸能界デビューして、『ハロー!プロジェクト』にいた。事務所が厳しく、当時は港区女子の存在も知らなかった」と振り返る。19歳で芸能界を引退し、「友達がいなかった。数少ない知り合いにパーティーへ連れていってもらい、20代から港区女子になった」。

【写真・画像】港区女子の“その後”とは? 元カントリー娘。斎藤みうな「最近はどのパーティーに行ってもブレイキングダウンの人がいる」 きらびやかな街の内実は 2枚目
拡大する

 仲のよかった元“ミス東大”の友人から、「大学の先輩が花見をやる」と声をかけられたことも。「社長とかがたくさんいて、“友達の友達”がつながっていった。当時はリーマンショック前で、“港区女子”の単語も、“ギャラ飲み”の文化もなかった」。時代に応じて、飲む相手も変わっていったという。当初は“ヒルズ族”のIT長者が多かったそうだが、「最近は、どのパーティーに行っても、BreakingDownの人がいる。インフルエンサーのような、ネットで数字を持っている人もモテる」という。

元“港区女子”斎藤さんの現在は
この記事の写真をみる(3枚)