ペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖では、藁でつくられた島に家を建て、生活を送る人々がいる。“藁の島”誕生の背景にあるのは、インカ帝国時代のスペイン人による侵略。迫害から逃れ、「生きたい」と願った先住民に、東出昌大とひろゆきが思いを馳せる場面があった。
6月23日、『世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた』がABEMAにて放送された。ペルー南部で迎えた南米旅13日目。一行は太平洋に面するカマナからバスを乗り継ぎ、チチカカ湖のほとりの街・プーノへ移動した。ひろゆきはこの日、島に宿泊したがっていた東出のために、チチカカ湖の島宿を予約。宿があるウロス島へ渡るため、一行はプーノの港を目指し、タクシーに乗り込んだ。港に到着した頃、すでに周囲は暗くなり始めていた。標高は富士山よりも高い約3800m、気温8度。東出とひろゆきは暖かい服装に着替え、宿の船が迎えに来るのを待った。
一行を乗せた船は、雨が降るなかウロス島へ向けて出発した。船が進むに連れ、天気はさらに悪化。多発する稲光を遠くに眺め、寒さに凍えながら、ウロス島に到着した。そして、島に降り立った東出とひろゆきは「全然かたくない!フワフワしている」「おお〜!藁だわ」と口々に驚きを語り、「これ大丈夫?だいぶ沈み込むんだけど…」と不安げな声も。ここチチカカ湖では、藁を束ねてつくられた浮島に、多くの家が点在しているのだ。
「なぜこの島に住もうと思ったの?」。ひろゆきはこの日宿泊する宿の男性オーナーに、気になる質問を投げかけた。すると男性は「その理由はコンキスタドール(スペインの侵略者)の時代にさかのぼります」と切り出し、“藁の島”が誕生した経緯を次のように語った。
「インカ帝国はさまざまな南米の民族を統治していましたが、スペインの侵略ですべてが変わりました。スペインの侵略者は多くの先住民の男を捕らえました。国王に送る金銀などの鉱山で働かせるためです。しかし多くは2度と家に戻ってきませんでした。そこで湖にボートを浮かべ、逃げてきたのです」
さらに男性は、藁の船の模型を見せながら「浮島は元々こんな形でした。1つの船に1家族ずつ家をつくって住んだのです」「1年中、湖を転々と逃げながら暮らしたのです」と説明。ウロス島は、人々の「生きたい」という強い想いがつくり出したものだったのだ。この話を聞いた東出は「生きようとする気持ち、すごいですよね。人間の根源的な」としみじみ語り、心を動かされた様子だった。
チチカカ湖に浮かぶ島・諸島の数は、約30。今回、東出とひろゆきが訪れたウロス諸島では、約140の浮島に3000人以上が暮らしている。今も多くの先住民が、過酷な環境下で生活を送るペルー。同国のこうした側面にも触れ、番組はエンディングを迎えたのだった。