終戦から79年の8月15日、日本武道館では全国戦没者追悼式が開かれ、多くの政治家が靖国神社に参拝した。
そんな中、上智大学の佐藤卓己教授は「グローバルにおける終戦記念日は9月2日ないし3日だ」「政治的な流れの中で終戦記念日=8月15日と決まったが、我々は祈りながら議論できるほど器用じゃない」と指摘する。
果たして、我々の「終戦への向き合い方」は今のままでいいのか? 佐藤教授と考えた。
佐藤教授は「8月15日を終戦記念日とするのは2つの観点から異常といえる」と話す。
「1つ目はグローバルな観点だ。実は8月15日を終戦日と考えているのは、 韓国と北朝鮮、そして日本だけであり、グローバルでは9月2日ないし3日が終戦日とされている」
「2つ目は、日本の大本営が停戦命令を出したのは8月16日の16時であり、8月15日の時点ではどの前線でも戦闘は続いていたことだ。つまり、8月15日=終戦というのは、玉音放送を聞いた本土の人たちの感覚であって、それ以外の兵士、あるいは沖縄・満州・朝鮮半島にいた人たちの体験ではない」
では終戦記念日は本来いつにするべきなのか?
佐藤教授は「そもそも戦争には“相手”が存在する。そのため、ポツダム宣言を受諾した8月14日であればまだわかる。だが本来、国際法的な常識でいえば降伏文書に調印した9月2日を終戦日とするのが常識だ。8月15日の玉音放送は日本国民に対して向けられた文書であって、外交的な文書ではないことが1番大きな問題だ」と説明した。
では、なぜ終戦記念日は8月15日になったのか?
歴史を遡ると、1963年5月14日に池田内閣で「全国戦没者追悼式実施要項」が閣議決定され、1982年4月13日に鈴木内閣で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が閣議決定された。つまり、政治的な流れの中で8月15日に決まったのだ。
この点について佐藤教授は「終戦当初は8月14日を終戦日としていた。そもそも、玉音放送で読まれた終戦詔書における日付も8月14日であった。だが、お盆のいわゆる追悼の日にふさわしいということで、15日に全て集約されていったのだ。対して、在日の人たちに対するいわゆる平和条約に基づく国籍からの離脱の基準は9月2日になっている。つまり、国際的な終戦日と国内向けの終戦日を日本政府自体も使い分けているのだ」と説明した。
そこで、佐藤教授が提言しているのは「戦没者を追悼する8月15日」と「平和を祈念する9月2日」に分けるというものだ。
佐藤教授は「我々は8月15日にある種の宗教的な儀礼として死者を追悼しつつ、同時に、国際的に平和のための外交をする、という2つのことをやろうとしているが普通の人間にはできない。祈りながら議論できるほど我々は器用ではない。それならば祈るべき日は8月15日、議論をする日は9月2日と分ける方がより人間的であり、政教分離の観点でも正しい」と述べた。
さらに佐藤教授は“8月ジャーナリズム”と“9月ジャーナリズム”について言及した。
「8月に戦争を振り返ったり、祈りを捧げることを否定するつもりはない。だが、8月ジャーナリズムはいわゆる追悼のための情緒を盛り上げるような、ある種の感情に訴えるものだ。それは確かに、ある時期までは反戦や平和運動を下支えしていたかもしれないが、これだけ社会がグローバル化してきた時にそうした内向きな、エモーショナルな部分は外部と議論をする上で必ずしも有効に機能せず、むしろ歴史的な事実から離れていく可能性すらある」
「国際的には9月1日は第2次世界大戦が始まった日であり、偶然ではあるが2日は日本が降伏文書に調印した日だ。さらに8日はサンフランシスコ条約の調印、11日には同時多発テロが起こり、18日には満州事変が勃発した。夏休みが明けるという教育の観点からも、周辺の国も含めて戦争と平和を考えるシーズンとしてはやはり8月よりも9月がふさわしい。8月15日に政治家が靖国神社に参拝し、それに対する周辺諸国から抗議されているが、『これは国内のお盆の行事である』と明確にした上で終戦日を9月2日にすれば、今ほどエモーショナルな反応は起きないのではないか」
最後に佐藤教授は「8月15日が選び取られたのは国内問題を優先的に考えてきたからだ。だが、今我々は国際社会の中で生きているため、ちゃんと対話ができる環境を作る必要がある。そのためには“9月ジャーナリズム”も必要であり、そのための第一歩になる」と述べた。
(『ABEMAヒルズ』より)
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