“ハンドボールで大学留年”齋藤健氏の素顔を恩師&戦友が語る「一流でないと気が済まない」「ユーモアいっぱいの人間」
【映像】東大時代の齋藤氏(複数カット)

 自民党総裁選への出馬意欲を示す齋藤健経済産業大臣(65)が、リーダーの礎を築いた原点は“ハンドボール”だった。現在の筑波大学附属駒場高校で始め、東京大学でもハンドボール部に所属し、いまもプレーしている。

【映像】東大時代の齋藤氏(複数カット)

 入部当時の東大ハンドボール部は「4部リーグ所属」で、弱小チームとされたが、そこで3年生の夏にキャプテンに就任。練習を増やすなどチームを強化し、キャプテンとして初のリーグ戦では、3部優勝を果たし、入れ替え戦にも勝って、2部へと昇格した。

 日本ハンドボール協会のウェブサイトには「途中から、思ってもないポストに配属された時のほうが、新しい知識や人脈を得られ、自分のためになる。狭い経験の中よりも、全然違うことをいっぱい経験するほうが、と思うようになりましたね」といった経験談とともに、ハンドボールへの感謝が書かれている。

 ハンドボールで、何を学んだのか。日本ハンドボール機構副会長で、齋藤氏の東大ハンドボール部時代のコーチだった藤森徹さんに話を聞くと、「キャプテンになった時から、『自分がやっていくんだ』と、やんちゃそうな印象だった。情熱が強く、努力しないとダメ。自分で率先して『ついてこい』といったタイプに思えた」と振り返る。

 当初から齋藤氏は、1部リーグ昇格に向けて、取り組んでいたという。「何事も一流でないと気が済まない。ハンドボールのリーグ戦に出るために1年留年して、大学5年生までやった」。しかし、留年してまで挑んだ入れ替え戦には破れ、念願の1部昇格は果たせなかった。

 その時の光景を「話しかけられない感じ」だったと、藤森さんは振り返る。ただ、当時の精神は今も生きていると推測する。「質問も官僚から来るものをそのまま上げるのではなく、自分の考え方を整理して答えている。対話の仕方はハンドボールで培ったのではないか」。

 チームメートも「情熱のある熱血漢」の姿を覚えていた。笠井俊彦さんは「自分に厳しかったが、ユーモアいっぱいの人間だった」と語る。先輩に「ビールを飲ませてやる」とビアガーデンに誘われた際、「先輩から『ビール代は出すが、つまみは出さない』と言われて、カップルの前で芸をやって、つまみを取ってきた」とのエピソードを明かす。他にも「2年生の時に、マネジャーがいなくなった。僕(笠井さん)だけ共学出身で、誰かしら頼みに行けないかと、2、3校ほど回るよう命令された」とも話す。

 笠井さんは、東大から環境庁(現在の環境省)へ入ったが、これにも齋藤氏が関わっていた。「環境庁に行きたいと言っていたので、先に行き『こんなところだった』と話していた。齋藤も僕も、同じぐらいの時に(環境庁の)内定が出たが、齋藤は通商産業省(現在の経済産業省)に逃げちゃって、2人とも逃げるのはどうかと思い、僕は環境庁へ行った」。

 齋藤氏は、ビアガーデンの一件について、「もう1人の仲間と一緒に、見ず知らずのテーブルに行き、『面白かったら、つまみをください』と、シマウマのまねをした。カップルの所に行くと、女性は『かわいそうだからあげなよ』となる。これが選挙に生きた」と笑い飛ばす。

 ハンドボールからは、「自分がやらないと付いてこない」と、率先垂範(先に立ち模範的な行動をする)の精神を学んだ。また「自分たちより少し弱いチームと対戦する時が怖い」とも感じた。「向こうは食おうとし、こちらは油断して、その差が負けにつながる。今回(の総裁選)も油断をしてはいけないと学んだ」と語った。

(『ABEMA的ニュースショー』より)

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