世界的イリュージョニストのプリンセス天功こと二代目 引田天功に『NO MAKE』が密着。そこで明かしたのは、アラブの石油王から油田をもらったエピソード、アメリカで交わしたという衝撃的な契約内容、さらに小旅行感覚で行っているという宇宙について。そして、イリュージョンの他に熱を入れている活動も。規格外な人生を歩むプリンセス天功の素顔に迫った。
ーーイリュージョンはどれくらいやってらっしゃるんですか?
天功:何億年?3歳の頃から、モデルとかやってたのでずっと私働いてます。
ーー今は月に何公演やっていますか?
天功:大体年間300ステージ、実動200日。1年を4分の1に分けてアメリカ、ヨーロッパ、アジア、日本。今は海外の方が多いですね。大体ステージの上か泊まってるホテルか楽屋です。
体を張ったイリュージョン「いつ死んでも仕方ない運命」
3歳からキッズモデルとして活動していた天功。1976年に母親のいとこが社長を務める、初代・引田天功さんの事務所に入り、舞台女優を志した。しかし…
天功:初代・引田天功さんのアシスタントの方が誰もいなくなってしまって、私に急遽「マジックの箱の中に入ってくれないか」と言われて。マジックって全然それまで知らなかった。初代・引田天功さんも知らなかったんですけど、そんな世界もあるのかな…という感じで。
なしくずし的に飛び込んだマジックの世界。そして、1977年、初代が心筋梗塞で倒れると…
天功:代わりに日テレの大脱出をやってほしいって。いろんな役者さんとか初代・引田天功さんの代わりがいたんですけど「女の子の方が視聴率取れるから頑張ってやりなさい」って言われて、そこからまた大脱出ってなんだって調べて、初代・引田天功さんのビデオを見て「あぁこんな危険なことするんだ」って。爆破とかも初めてだったので、まあ今だから言えるんですけど、一発目の大爆破で耳が聞こえなくなってしまって。インタビューにも答えられない。10m上から1回目の爆発で下まで落っこちて、肩にはその傷がまだ残っていて。
両耳の鼓膜を破るも、代役を務め上げた天功。その翌年、マジックを披露しながら歌うアイドル歌手『朝風まり』としてデビューした。2枚目のレコードを出したところで初代が死去。1980年に二代目・引田天功を襲名した。
天功:二代目・引田天功になるって言った時に(マジックの歴史を)すべて覚えないといけないって言われたので、たまたまショートスリーパーだったのでずーっと勉強していました。水槽大脱出って2トンの水槽の中に私が入ってあっという間に客席に出てくるっていうのをやらなきゃいけないという契約があったので、それをやったんですね。ある時、風邪をひいてしまって水槽の中に入った途端に咳き込んでしまって、それで溺れてしまったんです。救急車や消防車が来て開けてくれて引っ張り出して、その時に蘇生してもらってっていうのが5回あって、もういつ死んでも仕方ない運命なのかなというふうに思っていました。
アメリカで交わした衝撃的な契約内容

