調子に乗っていたブレイク時代「番組の八百長もしました」
2025年3月17日 、NO MAKEのスタッフが向かったのは、上田城で知られる長野県・上田市。五十嵐さんは2024年6月に「ウルトラマーリン」、10月に「メビウスマーリン」という2つの「就労支援事業所」を兄と立ち上げ。就労移行型に分類される「メビウスマーリン」では、心の病や身体的な障がいを持つ利用者が一般就労に向け、プログラミングスキルやコミュニケーション能力を身につける支援を行っている。
1986年に長野の軽井沢で生まれた五十嵐さん。2004年、高校3年生の時にワタナベプロダクションが手掛ける俳優集団『D-BOYS』に加入し歌って踊って演じる俳優として芸能活動をスタートさせた。
五十嵐「もともと歌がそんなにうまくなくて、ミュージカルに出ること自体がちょっと嫌だったんです」
なかなか人気が出ない中、転機が訪れたのは2006年、19歳の時だった。
五十嵐「『お前は絶対売れない』って言われてる中で、『ウルトラマン』が決まったっていうのが大きかったです。役者ってやっぱりその世代にしかできない役が必ずあると思うので、そこで10代のうちにあの特撮ヒーローっていうのは経験しておかなきゃなっていうのが自分にはあって。そこから売れるっていう。なので仮面ライダーもそうですし、スーパー戦隊シリーズもオーディションは全部受けていました。その当時は。仮面ライダー2回、スーパー戦隊2回、ウルトラマン1回です」
初主演にして『ウルトラマンメビウス』の主人公に大抜擢された五十嵐さん。それからは、『イケパラ』や『ROOKIES』といった話題作に出演し、売れっ子俳優の仲間入りを果たした。
五十嵐「『 ROOKIES』のときは、毎日が“無双状態”というか。番組呼ばれても扱いがよかったり。スタッフさんの扱いも…あれ芸能界悪いところですよ。売れてる人間をヨイショするスタッフさん、本当によくない。本当に調子に乗っていました。番組の八百長もしました。本当に仕事かぶっちゃって、マネージャーに頭下げられて、『お願いだからこのラウンドで負けてください』って。でも番組側のディレクターさんはちょうど新人の方がついたんですよ。僕のところに『もうどうしても次へ進ませろ』って指示が下りてきていたんですよ。あれはもう、すごい大仕掛けでしたね。ある物を集めなきゃいけなかったんですけど、その物を集めて、『よし!』と思って、じゃあそれを『はめにいくぞ!』ってなったときに、1個ピースを落としたふりをして、俺がずっとパンツの中に入れていました」
「もう芸能界干されるんだろうなと思う気持ちでやってい」27歳で引退した理由
