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 進むほどに道幅は狭くなり、コンディションもどんどん悪路に。そんな危険な山道を乗り越えて終点までたどり着くと、広大な棚田が見えてきた。そこで出会ったのは、ここに元々住んでいた夫婦の娘の夫(70)。義両親は11年前に亡くなり、「家を継ぐ者がいないので、私が家と棚田の世話をしている」と、毎日のように麓の集落から通っているという。

 かつては集落だった場所だが、住人たちが次々と山を下り、45年前にはポツンと一軒家に。さらに話を聞いていくと、この地は平家の落人(※)の隠れ里で、「何百年も前からの血が流れてるんじゃろうね」。さらに、一軒家から山を登った先には平家ゆかりの神社があるそうだ。
※平安時代末期、源平合戦で源氏に敗れて山間部など僻地に隠遁した、平家方の敗残兵などの生き残り

 当時の集落の住民たち造った石段を上がっていくと、鳥居が姿を表した。1194年創建のこの「平家八幡神社」は、一族が平家の末裔であることを隠すため「八幡神社」と名付けたと伝えられている。本殿に続く能舞台は、3、4年前まで秋祭りに使われていたが、高齢化が進み、今は少しくだった場所にある公民館で行っているということだ。

 幼い頃はこの地に暮らし、「今もお盆と正月は、お掃除をしているんです」と、神社と平家塚(墓)の管理をし続けている男性。今後については、「(家をどうするかは)考えたことがない。元気なうちは上がって、将来どうこうは全然考えていない。お米を作る、草を刈る」と語るのだった。

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