『学校へ行こう!』終了後の苦難の日々

【写真・画像】『学校へ行こう!』終了で仕事が激減…兼業農家になったパークマンサー(47)、どん底の日々を回顧 3枚目
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 しかし、現在の安定した生活を手に入れるまでには、長い苦難の道のりがあった。2005年『学校へ行こう!』終了後、役者に挑戦するも出番は少なく、収入が激減。

「完全にバイトで暮らしてました。飲食のバイト。食っていくっていうのが1番重要だったので。あとは1回LDHサラリーマンしてますね。マネージャーやってましたね。スリーポイントっていう事務所とエグザイル・エンタテインメントが合併したんですけど、僕はスリーポイント側のメンバーです」

――なんでやめちゃったんですか?

「マネージャーをやったことによって、自分が何か別の仕事をしている時に、お前が抱えてるタレントどうなってんだよとかって急に言われて、今までちっちゃいファミリー企業だったのが、だんだん外部からそういう有能な方を引き抜いている時だったんですよ。なにこれ?ってみたいな。それで居ずらくなってやめたって感じですね。一番どん底の時は、本当に何にもしてなかったです。ずっと寝てました。寝ながら韓流ドラマを見てるっていう生活です」

草むしりが人生を変える転機に
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