この借金返済のため、林下は昼夜を問わず働いた。「夜、風俗の用心棒のバイトを行っていました」と副業の実態を明かし、家族を養うためにセキュリティー業務に従事していたことを語った。

 当時の生活は極限状態で、「土曜日に小麦粉を2キロ買えると、『よし、これで月曜日給食まで持たせられるな』と。それが子育ての知恵だと思っている馬鹿な親だった」と振り返る。さらに娘からは「週末は1日2食とかあったよ。1日2食ってしょっちゅうあったよ」と言われたエピソードも紹介し、子どもたちにひもじい思いをさせていたことを率直に語った。

 そんな極貧生活を支えたのは、母親からの教えだった。「11人産んだうちの母親が言ってましたけど、『いいか、子育てで一番大事なことは、3度3度何かを口に入れてやることだ』って言っていて。『何言ってんだ』と当時は思ったけど、ほんとにそうだなって思いますね」と、親としての最低限の責任について語った。

“ビッグダディ”林下清志「8年間一切もらっていない」ギャラを拒否した理由を明かす
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