授業を聞くメンバーには、オードリーの若林正恭、平成ノブシコブシの吉村崇、ハライチの澤部佑らレギュラー陣のほか、A.B.C-Zの五関晃一、高橋真麻、藤本美貴らが出演。
中学受験をして早稲田実業に進学するも、中学3年の夏に退学し、その後ニューヨークの高校へ留学した蘭丸。そこでは「絶対に勉強して頑張るぞ」という強い思いを胸に猛勉強し、なんと「1年間で4年分の課程を終わらせた」という。
しかし、高校生活が残り3年ある中で、「ここに居続けても意味ない」と考えた蘭丸は、さらなる高みを目指し、プリンストンの名門高校への転校を決意した。ところが、英語力を測る「TOEFL」のスコアは、足切りラインにも届いていなかったという。
蘭丸はそれでも諦めず、面接で熱意を伝えて一度は帰宅。その後「落ちてる気がする」と不安になり、すぐに2度目の面接を願い出て、再度“パッション”をアピールした。結果、「点数が足りなくてもパッションを買ってくれて受かった」といい、スタジオからは「アメリカっぽい!」と驚きの声が上がった。
何とか合格を掴み取ったものの、いざ入学してみると、中学時代と同様「校風にまったく馴染めない」という問題が発生。さらには学年最下位からのスタートで、「周りが何言ってるかわからない」状態だったという。
友達もできずに途方に暮れた蘭丸は、「2年間誰とも話さず、食欲もなくてガリガリ」に。病んで朝起きられなくなったことで遅刻が増えてしまい、「生徒会が問題児を裁くシステムがあり、学校裁判にかけられた」と衝撃のエピソードを明かした。
さらに、栄養失調で倒れるほどの“病み期”だった蘭丸にとって、当時もっとも大きな試練は「寮の相部屋の相手が、身長2メートル・体重150キロのアメフト選手ケビン」だったこと。超体育会系で蘭丸とまったく波長が合わず、「部屋では常に大音量でラップを流し、ピザとチキンを食べていた」という。
しかし、蘭丸はそんなケビンや仲間たちから「恐れられていた」と意外な告白。その理由は「小顔ローラーをアダルトグッズと勘違いされた」からで、「アイツはアダルトグッズで何をやってるんだ?」とアメフト部内で囁かれていたという。これにはスタジオも爆笑し、「一番怖い!」とツッコミの声が上がっていた。
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