娘が生後8か月の頃、元夫はがんで余命5年の宣告を受けた。抗がん剤治療が始まると苛立つ夫との間に言い争いが増え、珠代は離婚を決意。元夫は「俺の生きる望みは娘だけ。娘は俺が引き取る」と主張し、珠代は泣く泣く親権を手放した。
元夫の死をきっかけに、12歳になった娘との暮らしが復活。9年ぶりに暮らす娘とは当初ギクシャクした関係が続き、2か月間も口を利いてもらえないこともあった。
高校2年生になった娘は、多忙な珠代を思いやってご飯を作り置きしてくれるほど優しく成長。そんな娘が書いた珠代への手紙には、珠代への感謝とリスペクトの気持ちが綴られていた。
「私にはたくさんの選択があって選択肢があります。私も子供にはたくさん選択肢をあたえられるような大人になりたいとそう思います。そんなママが大大大大大好きです」。手紙を読んだ珠代は「すごく嬉しいです、大切にします」と大粒の涙を流して声を詰まらせた。
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