有力者が候補者を“面接”?「数の論理」が強かった時代の総裁選を政治学者と振り返る ABEMAヒルズ 2025/10/03 11:00 拡大する 2001年の「小泉旋風」前の総裁選は派閥の「数の論理」が強かった時代。そのため、有力者が候補者を呼んで面接することもあったという。 1991年、海部総理の後任を選ぶ総裁選。当時100人を超える自民党最大派閥・竹下派は小沢一郎氏(当時49)に立候補を求めたが、持病などを理由に小沢氏は辞退する。 政治ジャーナリストの細川隆三氏は、その当時のことを次のように語る。「宮沢(喜一)さんと渡辺美智雄さん、三塚博さん、この3人がどうするかという話になって、候補者よりも若い小沢さんが事務所に呼びつけたというような形に映る。それで『小沢面接』と言われた」(細川隆三氏、以下同) 続きを読む