妹の夫が亡くなったのをきっかけに信子さんは大阪に戻り、幸治さんと「炭火焼肉かうかう倶楽部」をオープン。銀座で培った接客術もあり、店は大繁盛した。
ところが事業拡大を図って新店舗へと手を広げた途端、日本中を「狂牛病」の恐怖が襲う。焼肉店は大打撃を受け、信子さんと幸治さんは1億円の借金を背負ってしまった。信子さんは「人生終わりやと思った」「男前やから幸治くんはどこかに行ってくれたらいいのに。うちみたいなアホなおばちゃんとなんで一緒におるんや、かわいそう」と当時30代前半だった夫の将来を案じ、毎日のように別れを考えていたという。
しかし幸治さんは「情熱だけじゃなくて知恵もすごい。この人についていったら食べられないことはない」と信子さんの“サバイバル力”をリスペクト。「この人、何やっても生きるな」と圧倒的な信頼を寄せ、2人は絆を深めていったという。
「永遠にキレイでいたい」20年間体型をキープするマダム信子(73)、毎朝のルーティンに衝撃
