信子さんの人生は波乱万丈だ。1951年、韓国人の両親のもと島根県で生まれた信子さん。幼少期は経済的に苦労し、「小さいリヤカーに一斗缶を1個だけ積んで、残飯を喜んで取りに行っていた」という。
10歳の時に大阪に引っ越すと、隣の子が「クサい」と机を離す意地悪も。信子さんは「喧嘩になると鉛筆で刺されたよ。腹立つからコンパスで刺すやん。私が悪くなる。大事件。アハハ」と明るく振り返った。
専門学校を卒業後、父に言われるまま18歳でお見合い結婚をするも2年で離婚。実家へ帰れない信子さんが始めたのは夜職だった。
大阪・北新地であっという間にNo.1になると、信子さんは「私は絶対トップへ行く」と単身上京。銀座で自分の店を持つとすぐに人気が出、年間売上は3億円に。
妹から懇願され大阪に戻った信子さんは続いて炭火焼肉店をオープン。評判の行列店となるが、新店舗を拡大した矢先に狂牛病騒動が発生。1億円の借金を背負った。
借金返済のために始めたのが喫茶店。その時に生まれたのが、メープルシュガーをキャラメリゼしたバウムクーヘン「マダムブリュレ」だった。信子さんは「それが大ヒット。救われた~」「1週間に2億円売れた。借金全部返して」と起死回生の瞬間を語った。
マダムブリュレは生産が追いつかないほど大ヒットし、信子さんは開業5年で年商50億円のカリスマ経営者になった。
年齢を重ねてもアグレッシブに人生を楽しむ信子さん。今の野望を聞くと、「家を今建てている。来年の10月には出来上がり」と兵庫県・芦屋に建設中のヒョウ柄ド派手新居を紹介。建設費は5億円以上と明かした。
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