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 男性の家は代々林業を営み、現在9代目。昔は広大な山を持ち、「家から最寄りの駅に出るのに、自分の土地を歩くだけで行けた」ほどの大地主だったそうだ。

 男性は高校進学の際、牛を多頭飼育していたことから、全寮制の農業高校の畜産科に進んだ。しかし、高校卒業後は土木関係の仕事に就く。その背景には、男性が14歳の時に母を癌で、18歳の時に父を亡くした出来事があった。残った祖父母と姉弟の暮らしを支えるため、「手っ取り早く稼げる」と土木関係の仕事に従事。毎日、土木現場で汗水垂らして働きながら、家業の稲作や牛の世話も続けていたという。

 さらに25歳からは、冬の間、酒蔵へ出稼ぎに出るようになる。43年にわたり酒造りに携わり、酒蔵では蔵人として、釜屋(蒸したお米を扱う係)から船長(もろみを絞る係)の上の代司まで登りつめた。

 働き詰めの人生に一区切りをつけた男性は、現在70歳。「ご覧のどおりの風来坊」だと笑う。収入は年金がメインだが、高齢化で田んぼが作れない地元の人の手伝いをしたり、鳥取名産のらっきょう掘りの手伝いをして賃金を得ている。

 そして、現在入院中の弟の帰りを待ちながら、築150年の母屋を1人で守っている。この家は曾祖父の時代の茅葺き屋根の家を瓦屋根にしたもので、今も土間が当時のまま残されている。

 捜索隊から今後の夢について問われると、男性は「特に希望はない」と答えた上で、この山での生活の良さを語った。

「みんなから、『あんな所におっても1人で寂しかろうが』とか、『降りてこいや。彼女もできんぞ』と言われたことは何回もあるんですけど。これだけのどかで静かな所で、水は綺麗だし、特に夏には処処啼鳥を聞く。自然の声が聞けるっていうのが、野生児の良いところかな(笑)。ここで育ったのがまず第一声なので、住めば都ですよ」

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