小学生の時から勉強がうまくできず、ずっと怒られて育ったと言う粉すけ。自分の性格と親の性格が全く違うことで「全然理解してもらえない!」と葛藤を抱えていた中で、小学4年生の時に両親は育ての親(実の母の姉夫婦)だという事を知ったそうだ。厳格な両親への反発から見た目もどんどん派手になり、中学2年生から不登校に。そして19歳の時、欲しい車を購入するために「お金稼ぐなら肉体労働しないとあかん」と思い立ち建設現場の仕事を始めたと言う。すると、仕事で行った溶接が好評で「今まで褒められる経験、成功体験がなかったからすごく嬉しくなって楽しくなった」と話す粉すけ。しかし、3ヶ月ほど遠方新潟の勤務になった際にホームシックにかかり、その時にも親が優しく連絡をくれたことで「どんな時でも励ましてくれるのは親しかいない」と思い、現在は両親と過ごす時間を大切にしているという。
現在は溶接だけにとどまらず、解体・大工仕事もこなす凄腕の職人になった粉すけ。「仕事中はすっぴんです。邪魔になるので」とメイクについて語り「中途半端な長さのネイルしてると半端なギャルに見られるから。それだったら仕事大事だからしないっていうスタンス」とギャルも仕事も中途半端な姿勢はNGと明かした。「『思ったよりやるんだな』って思われないと次呼んでもらないと思うんで。絶対に諦めない」と仕事への姿勢を明かし「かっこいい」とMEGUMIらは感心していた。
「1日3回警察から電話」「6年間口を聞かなかった」西成で解体業を営む“溶接ギャル”の育ての母、壮絶育児を振り返る
