松⾕鷹也
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 しかしその後、症状が悪化した横田選手が ホスピスに入ったという知らせが届く。すぐに神戸のホスピスに向かうも、すでに会話ができる状態ではなかった。その時の心境を松谷は「快復傾向というか元気になっていたタイミングだったので…びっくりしたのが一番でした」と語る。

 訃報が届いた際は、助監督のチーフとして別の作品を撮影中。ひとり抜けると大変な状態だったが、仲間たちに背中を押された。「もう亡くなってますし、なにができるかわからなかったんですけど…慎太郎さんが、甲子園だったりずっと練習してきた鳴尾浜球場に行きたいんじゃないのかなと。グローブと一緒に色々周ったりした」

 そして「一度諦めた野球の夢を、ずっとやってなかったんですけど慎太郎さんと出会ってから練習を再開して、やっぱり野球が好きだったなと思いましたし感謝してます」と目に涙を浮かべ声を震わせながら感謝を口にした。

映画が完成して思うことは
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