パチンコを極めすぎて燃え尽きかけた彼は、ライターを辞め、かねてからの夢だった「日本一周」に行くことを決意する。この時の彼の心境は、パチンコを打つこと以外の新たな刺激を求めていたと言える。しかし、この「辞めます」という申し出が、さらなる伝説を生むことになる。憧れの大崎一万発から「日本一周しながらパチンコを打てばいい」という逆提案を受け、彼は過酷な連載企画「旅打ち日本一周全県全勝」に挑むことになる。
旅費自腹、勝つまで次に進めないという前代未聞のルールで、彼は2年間、車中泊をしながら全国を回った。移動距離は5万キロを超え、両親に遺書を残すほどの覚悟を要した。この過酷な旅も、彼にとっては再びパチンコに「のめり込む」ための最高の舞台装置となった。結果、彼はこの旅で+約200万発という収支を叩き出し、前人未到の偉業を達成する。バイク修次郎の人生を懸けた「年間3200時間」の稼働は、彼の異常なまでの熱量と徹底的な集中力こそが、プロとして成功し、伝説を打ち立てた最大の要因であったことを証明している。
(ABEMA/「パーラーカチ盛りABEMA店」より)

