過酷な練習の合間を縫って訪れたのは、YA-MANの本名である「杉山怜」として多感な時期を過ごした地元で母が営むスナック「Allure(アリュール)」。

 YA-MAN曰く、母はメディア初登場。扉を開けると、カウンター越しにYA-MANの母・杉山友美さんの姿が。華やかな着物に身を包み、柔らかな笑みを浮かべるその姿は、リング上で剥き出しの闘争心を見せるYA-MANとは対照的だった。そんな様子に榊原CEOも冒頭の驚きを見せた。

 母・友美さんがこの店を構えて約20年、女手一つでYA-MANと2歳上の兄を育て上げてきたという。しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。

 幼少期のYA-MANは「人と違う行動をするのが好きな、かなりの変わり者」であり、中学・高校時代には荒れた生活を送るようになったという。喧嘩に明け暮れる日々の中で、友美さんは店での着物姿のまま学校や警察署へ呼び出され、頭を下げる日々を過ごした。警察署からの呼び出しは「近隣の署すべてを網羅するほどだった」と笑いながら当時を振り返る。

 男の子2人を育てるにあたり「気合を入れていかないと。厳しくいかないと」といった母の思いから、YA-MANが一度だけ逆らった時もあったというが「てめぇ、なめてんじゃねえぞってビール瓶が飛んできた(笑)」と当時を振り返る。

 そんなYA-MANが更生を決意したきっかけは、高校1年生の冬に訪れた母のガン発覚だった。「もしお母さんが死んだら、父親いないし、俺はどうなるんだろう。このままじゃダメだ」。父親のいない家庭で、唯一無二の支えである母を失うかもしれないという恐怖が、YA-MANを変えた。そこから猛勉強を開始し、見事に大学進学を果たす。その後、格闘家という険しい道を選んだ際も、母は「自分の人生だから自分で決めなさい」と背中を押し、信じ続けた。

 現在、トップ戦線で戦うYA-MANだが、そのファイトスタイルは“勝っても負けても激闘”で知られている。そんな息子の姿に母は「見ていられない」と本音を漏らす。それでも母が「生まれてきた瞬間から子供たちに助けられてきた。子供たちのおかげで自分の生きる道ができた。生まれる前から幸せをくれた。生まれた瞬間からありがとう」と感謝を述べれば、YA-MANも「血の繋がった唯一の人。大事にしたい」とぶっきらぼうながらも母への感謝と愛情を口にした。そんな大切な母に、2025年最後の勝利を捧げることができるかーー斎藤裕との一戦に注目が集まる。

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