「人を喜ばせることに変わりはない」
2005年にブレイクしたパッション屋良だが徐々に仕事は減り、2010年には「仕事が全くない」と感じるように。その頃、14歳から交際を続けて結婚した妻・アヤノさんとの間に2人目の娘が誕生。育児のためアヤノさんと子どもは地元・名護に戻った。東京での仕事が減り、家族とも離れて暮らす日々が続く中、パッション屋良もまた地元に戻るべきか迷っていた。
その背中を最後に押したのが、同じ事務所の先輩・出川哲朗の言葉だった。
パッション屋良「出川さんに相談したら『沖縄でやればいいじゃない』と言われた。都落ちじゃないですけど、そういう見られ方も嫌だなと。でも出川さんが『沖縄で一番になればいい』と言ってくれて、スーッと気持ちが楽になりました。お金の面とかしんどい部分もありますが、家族にも恵まれているので今のほうが全然いい」
現在は水の合う地元で介護の仕事、トレーナー、ローカルタレントとして活動している。
今の姿に、35年連れ添ったアヤノさんはこう語る。
アヤノさん「タレントの仕事もトレーナーも、老人ホームでの新しい仕事も、人を喜ばせることに変わりはないので、すごく尊敬しています」
かつては激しく胸を叩き、誰かを笑わせてきた芸人が、今は誰かの役に立つ胸を張れる仕事に。家族のために東京を離れたパッション屋良の願いはただ一つ。
パッション屋良「上の二人の子どもは医療系に進むために一生懸命頑張っているし、下の二人も少しずつ将来の夢が芽生えていて『こんな道に行きたい』みたいなのがあります。僕はどんな道を選んでもいいと思っています。僕の願いは、1日でも僕より長く生きて『僕を看取ってくれ』。それだけです」
(『ABEMA NEWS』より)
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