12月30日の放送回では、モデル、タレント、俳優など幅広く活動し、4児の父としてベストファーザー賞も受賞しているユージが登場。「母親とのしくじりまくり親子関係を激白SP」と題し、母親とのしくじりまくった壮絶な過去をテレビ初告白。授業には、担任のオードリー・若林正恭、レギュラー生徒のハライチ・澤部佑、平成ノブシコブシ・吉村崇、そのほか生徒として伊集院光、高橋真麻、ひまひまが参加した。
出身は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ。ハリウッド俳優の父親と日本人モデルの母親の間に生まれたユージ。父方の曽祖父はドミニカ共和国の第46代大統領であるアントニオ・グスマン氏で、その当時、ユージは高級ホテルの43階を借り切って自宅として暮らす超セレブファミリーだったという。
しかし、5歳のときに両親が離婚し生活が一変。母親と二人で東京・東村山に引っ越し、オンボロ小屋での行極貧生活がスタートした。
母親は生活のために仕事を掛け持ちして頑張って働いてくれていたという。そのため、一人っ子だったユージは家にいることが多くなり、寂しい時間が多かったそうだ。ある夜、寂しさを紛らわすためにふらっとコンビニに出かけると、バイクの灯りで野球をしている暴走族と遭遇。まだ子供で暴走族という認識もなかったユージは、楽しそうな様子を見て、思わず「い~れ~て」と声を掛けた。すると暴走族たちは優しく迎え入れてくれたという。
しかし、暴走族が投げたボールがユージの頭部に思い切りぶつかり、脳震盪を起こしてしまった。ユージは「バッターボックスに入って、お兄ちゃんが投げたボールが頭に当たって。その時の記憶は止まってるんですよ」と当時の状況を説明した。
慌てた暴走族たちはユージをバイクに乗後ろに乗せて病院へ。この経験によってユージは「暴走族の人たちが僕にかまってくれる!暴走族のお兄ちゃん最高!」という気持ちになったと告白した。「愛されていると思った。心配してくれると思って嬉しかった」というユージは、この経験によりヤンキーに対する親近感が生まれた。
小学校6年生になったとき。ユージにとって運命の出会いがあった。それは、暴走族向けの雑誌『チャンプロード』。各エリアの暴走族の投稿写真が多数掲載されている雑誌で、これを読んだユージは「人生が大きく変わりました」「僕にとってはキラキラしたものだった」と明かした。「優しくてカッコいい、強くてたくましい」と思っていた暴走族が掲載されているページをめくりながら、ユージは大興奮したそうだ。
そして、中学に入学するタイミングで「人生を変えるならこのタイミングしかない。今日から俺はヤンキーになる!」と決意した。番組では、他にも母親から包丁を向けられた壮絶な過去などを明かしている。
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