
太平洋戦争末期、零戦の後継機として開発された旧日本海軍の「紫電改」。8日に81年ぶりに海底から引き揚げられました。
【画像】沖合200メートル、水深3メートル 紫電改が沈んでいた場所
旧海軍「最後の切り札」
1945年4月、旧日本海軍の林喜重大尉が操縦する紫電改は、アメリカの爆撃機B29を迎え撃つため出撃しましたが、戦闘中に被弾。鹿児島県阿久根市沖に不時着水しました。
紫電改・林大尉機を引き揚げる会
肥本英輔代表
「終戦末期に大慌てで、日本本土防衛のために必要な戦闘機ということで、局地戦闘機という言い方をしますけれども、彗星(すいせい)のように現れたのが、この『紫電改』だった」
スピードもパワーも零戦を上回り、旧海軍の「最後の切り札」とも呼ばれていました。
3年前から引き揚げ計画
太平洋戦争末期の「戦局打開の切り札」として開発されました。
「エンジンが被弾していた中で何とか不時着しようとして、最もよい場所を選んで南西方向から不時着しようとしたと判断できます。確実に生きようとしていたはずです」
紫電改が沈んでいた場所は沖合200メートル、水深約3メートルの地点です。
左右の翼はしっかりと残り、機銃も確認できます。
「本当きれいな姿で、体は傷ついているけど、きれいな姿で残っていてうれしい」
戦争を風化させず、形として後世へ語り継ぐために、3年前から今回の引き揚げが計画されていました。
クラウドファンディングで資金を集めるなどして、ついに引き揚げの日を迎えました。
「戦争があったことすら、よく知らないという方々が増えているんです。(戦争体験者が少なくなり)ダイレクトなお話を聞くことが、本当にできなくなっているということで、実際のものを形で見てもらいたいと、非常に強く持つようになりました」
紫電改は今後、機体を修復し展示を目指します。
(2026年4月9日放送分より)
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